(『人間革命』第8巻より編集)
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〈多事〉 2
「すると、いったい広宣流布は、どうしたらできるのでしょうか。他宗の僧一人も改宗させることができないようでは・・・」
「そこだよ。現代の広宣流布は、不幸な民衆を救っていく活動です。辛抱強く、一対一で、日蓮大聖人の真の仏法を説き、
納得させて、一人が一人を救っていく以外に方法はない。
これが創価学会の使命とするところの実践活動です。
では、なぜ、ぼくが青年部に法論闘争を許しているのかと、君たちは思うだろう。
それは君たちのためだ。君たちに、日蓮大聖人の仏法が、いかに正統で、すごいものかということを、わからせたいためです。
そうじゃないか。ぼくが、いくら真の仏法のすごさを説いても、君たちが疑っていたら仕方がない。
実際に他宗と比較してみれば一目瞭然となる。それには、法論を、ちょっとでも挑んでみれば、すぐわかることだ。
法論闘争は、君たちの信心を強固にするために許しているんです」
事実、散発的な法論闘争が、随所で行われても、他宗の僧侶や幹部は、内心の狼狽はともかく、世間的には微動だにもしなかった。
ところが、昭和二十九年ごろになると、活発な折伏活動が全国にわたって展開されるに及び、他宗の檀家のなかで、離檀するという現象が各地で起きた。
地方の、ある寺では、年間三十軒の檀家が、創価学会に入会して寺を離れていった。
もし、この事態が続くものとすると、数年たたないうちに、寺の経営は成り立たなくなることが自明である。
他宗の住職たちは騒ぎだした。
宗教上の問題というより、まず生活が脅かされたからである。
彼らは、墓地への埋葬を拒否するという挙に出たために、それが法律問題となった。