人びとは、牧口を戸田と共に偲び、戸田の人情のこまやかな報恩の誠を知って、 | くにゆきのブログ

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今、自分が感動したこと、また知っていただきたいことを、主に記していこうと思います。

   (『人間革命』第5巻より編集)

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    〈布石〉 7

 

 (つづき)

 思えば、私が十九歳の時に、四十九歳の先生とお会いし、その後、師弟の関係が結ばれたのであります。

 

 そして、創価教育学会を創立してからは、私が理事長を務め、影の形に添うごとく先生にお供し、牢獄にもお供したのであります

 

 『私は若い。ご高齢の先生を、一日も早くお帰ししたい』と思っていた昭和二十年の一月八日に、前年十一月の先生の死をお聞きしました。

 

 その時、私は、”誰が先生を殺したんだ”と叫び、先生の遺志を継いで、絶対に日本中を折伏して、南無妙法蓮華経のために命を捨てようと決心したのであります

 

 命を捨てようとした者に、なんで他人の悪口、難が恐ろしいものか」

 

 戸田の口調は厳しかった。牧口のことを語る時は、いつも激昂していく。いつになっても悔しくてたまらぬのであろう。

 

 皆は、師弟の絆の強さに胸をえぐられる思いであった。

 

 涙声の彼は、しばらく口をつぐむ。

 場内は静寂に沈んだ。

 

 彼は、遺族の方を顧みて、また言葉を続けた。

 

 「ここに、皆様が、こうして集まられるようになったのも、牧口先生のおかげであります。

 

 ここに、ただ一粒のお孫さんたる蓉子さんが、中学にお入りになるまでに成長されました。

 

 そのお祝いを申し上げ、七十四歳の奥様をお慰め申し上げたいと思います。

 

 また、小林君は、亡き先生の遺骸を背負って帰られた方であり、先生を思うと同時に、小林君が思われるのであります」

 

 戸田は、遺族に向かって一礼した。人びとは、牧口を戸田と共に偲び、戸田の人情のこまやかな報恩の誠を知って、惜しみない拍手を送るのであった。