(『人間革命』第3巻より編集)
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〈群像〉 9
もし、泉田が、そのままソロンにいたら、彼こそ捕虜虐待の責任者となっていたにちがいない。
あの転勤命令の疑惑は、一年八か月たって、初めて氷解した。
内地に帰還した第一歩に、それを聞くということも偶然ではあるまい。
彼は、仏恩に身震いしながら、諸天の加護を痛感した。そして、浅はかな己の信心を深く恥じた。
彼は、その足で汽車に乗って、まず、日蓮正宗の総本山である富士の大石寺へと向かったのである。
復員姿の泉田は、いそいそと総本山の石畳を踏みながら、理境坊に入った。
泉田は、ここで客殿の焼亡と、牧口の死を初めて知り、愕然としたのであった。
彼は、揺らぐロウソクの火のなかに御本尊を拝し、事なく復員したことを報告した。
思えば出征前の彼の祈りは、そのまま、叶えられていたのである。彼は、この間、戦死者の一人も見ず、戦傷者の一人すら見なかった。
また、彼は、弾丸の一発も撃つことなく終わっている。
彼の滂沱(ぼうだ)と流れる熱い涙は、とどまるところをを知らなかった。
総本山の参詣者名簿に載った住所に電報を打って、妻と再会することができた。
泉田ためは、小岩のアパートにいて、町会事務所に勤めていた。彼ら二人は、早速、西神田の日本正学館に戸田理事長を訪ねた。
「よう!帰ってきたね」