(聖教新聞、3月15日、四季の励まし、池田SGI会長)
祈りは、人間の人間たる崇高な証である。
無宗教だという人も、何か祈っている。
「苦境を脱したい」 「よりよく行きたい」 「家族を守りたい」
などと強く欲するのは、人間として本然的な心である。
思いやりも、友情も、祈りから始まる。
祈りこそ、人間と人間を結びゆく力である。
我らの祈りは、「人間革命の祈り」だ。
人や周囲が変わってくれるのを待つのではない。
強盛な一念で自分自身が変わり、
その波動を広げるのだ。
我らの祈りは、「自他共の幸福の祈り」だ。
あの友も、この友も、共々に仏の生命を開きながら、
絶対に幸福をつかんでいくための原動力なのだ。
我らの祈りは、「誓願の祈り」である。
広宣流布の大願へ、拡大と勝利を誓い、自ら行動を起こし、
実現していくのだ。
希望を自ら生み出す原動力こそ、
「南無妙法蓮華経」の唱題行である。
題目の力は無限だからだ。
題目を唱えた瞬間から、自身の一念を変革し、
希望の明日を創り開いていけるのだ。
日々、自分のなすべき具体的目標を明確に定めて、
一つ一つの成就を祈り、挑戦していくことだ。
その真剣な一念から、智慧が湧き、創意工夫が生まれ、
そこに成功がある。
つまり、「決意」と「祈り」、そして、「努力」と「工夫」が
揃(そろ)ってこそ、人生の勝利がある。