何を隠そう、私は来年こそ「ささやま情話」を書き直すと決めた。
この小説は私の幻の処女作であり、詳しくは以下に書いている。
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話しは電車だけでは終わらない。
自分が小学生だった時代を再現するのは実に難しい。まず自分の記憶があてにならない。
その前年に伊勢湾台風という大災害があった筈なのに、殆ど何も覚えていない。
従って、何か一つのエピソードを記述するにも、データの山を取り揃えなければならない。
例えば、下記の表は昭和34年の紅白歌合戦の出場歌手である。
さすがに6割程度は名前も顔も覚えているが、子供だっただけに愛着や思い入れが少ない。
これは小説にとっては命取りだ。下手をすると新聞記事になる。
また、資料やデータはその気になればいくらでも入手できる。できるが、その殆どは実際には使わないことが多い。頭の中でそのシーンをカットすれば、それまでだ。
ノンフィクション・タッチというのは、何かにつけて手間を喰う。
例えば、作中に「頼尊橋」という橋が出てくる。この辺りの風景を、私はGoogle mapで数えきれない程「探索」した。学生時代に行った頃と、地形的に大差はない。
けれども、数行書き進めるうちに、常に問題が起こった。
昭和34年当時、この頼尊橋は今のようなコンクリートの橋だったか?それとも木橋だったのか?
分からない。誰に聞けば良いのか?篠山市役所?それも分からない。
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どうあれ、私は思った。多分、人生最後の面白いこと、楽しいことを見つけた、と。
何としても仕上げよう。少なくともこれで「小説書け!」と、娘にケツを蹴られずに済むではないか。
するとそこへ、見透かしたように、社内の連絡メールが来て、およそ100万円ほどの見積をしたという。そのクライアントは数十年来のありがたい顧客で、これまで見積は単なる事務手続きに過ぎず、見積依頼が来れば必ず注文も来る。私も当然巻き込まれる。
正直、私に残された体力や気力はそう多くない。従って、仕事はもうありがたくない。
だが、そうは言っても100万の受注をあっさり蹴るほどリッチでもない。
さてどうしよう?
う~む、と唸る2023年の暮れ。
(2023/12/27)