#13 老人のサバイバル ~ 落日の光景 ② | 吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス

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WEBエッセイ、第3回

 

 

鬱症状の高齢者、独善的でアンガー・コントロールのできない高齢者、または心優しく繊細で傷つきやすい高齢者も読まない方が賢明です。

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20世紀終盤のバブル期、東京にたくさんのディスコがあった。今ではこの「ディスコ」というdiscotique の和製英語さえも死語だ。

 

                  *1990年代(ジュリアナ東京)

 

例えば1990年。この頃に青春期と時代の繫栄を同時に謳歌した世代も、今では既に初老となっている筈だ。下手をすると孫もいるだろう。諸行無常としか言いようがない。

因みに、上の「ジュリアナ東京」時代から20年遡る世代の青春期が下の画像(これには私自身も含まれる)。

 

    *1970年代(グループサウンズ

 

さらに20年遡るとどうなるか?

こうなる。

 

  *1950年代(ロカビリー)

 

(この手の芸は、半世紀経ってもあんまり変わらんな・・・)という気がするが、どうあれ、歳月がありとあらゆる存在の上に君臨する帝王であることに間違いはない。無数の庶民のささやかな喜怒哀楽から、その時々の戦争、文化、権力、神仏、果ては大宇宙に至るまで、万物悉(ことごと)くを容赦なく押し流していく。

 

統計を見れば分かるけれども、1950年代が青春時代だったロカビリー世代では、既に故人であるか、あるいは施設に入居している人も少なくない。人数が多過ぎて疎まれているグループサウンズ世代は、そろそろ健康寿命が尽きる頃で、体にガタが来ているジュリアナ東京世代は老後などまだまだ先と目を逸らしているが、実はもう周囲から老人と見られている。

この一般化した3世代(60 ~ 90代)を「老人」と定義するなら、その共通点がひとつある。

いずれも戦後、「昨日より今日、今日より明日がもっと豊かになる」という時代精神で育ったことだ。

だが、周知の通り時の流れは真逆となり、現代の老人は肌寒い夕日の時代に老いていき、死んでいくことになる。従ってそのサバイバルのためには、儒教に基づく家制度と敬老精神によって守られていた戦前の老人とは違い、桁外れにシビアな心構えを持ち、タフな自衛手段を講じなければならない。(以下、順不同、思いつくまま)

 

(1) 電話に出てはならない

世間であなたに用があるのは、オレオレ詐欺かセールス電話くらいのものだから。

 

(2) 子や孫に愚痴をこぼしてはならない

どうせ聞いてないから。

 

(3) 高齢者同士で不幸話合戦をしてはならない

どうせお互い聞いてないから。

 

(4) 他人に自分の人生を語ってはならない

自分が思っているほど感動的じゃないから。

 

(5) たまには「ひとりカラオケ」に行き、「たすけて~!」、「ぎゃくたい~!」、「ころされる~!」等の悲鳴を上げる練習をして、声帯を鍛えておかねばならない。

以下のような場合に役立つから。(i)押し込み強盗に入られたとき (ii)施設入居後、ワルの職員にいじめられたり、殴られたり、階上から放り投げられそうになったとき

 

(6) 自分の周囲(例えば行政窓口とか、ケアマネとか、顔なじみのスーパーの店員とか)から、「お年寄りが安心して○○できるように」、「大丈夫ですか?何でも言ってくださいね」、「暫く見なかったけど、お元気でした?」、等の声掛けがあっても、それを真に受けて3時間ばかり自分語りをしてはならない。

一般的に、相手は9時~5時のマニュアルだから。

 

(7) 自分はバブル呆けのお花畑世代の高齢者と自覚し、家から一歩外へ出たら、そこはひったくり、強盗、ストーカー、無差別テロなどが跋扈する末世と覚悟しなければならない。

もうすぐ、そうなるから。

 

(8) 決して「いつまでも健康で、長生きしたい」などと口走ってはならない。

聞き手があなたより若い場合、彼もしくは彼女の脳裏には「少子高齢化」とか「年金崩壊」とか「安楽死」とかの単語が浮かんでいるから。

 

 

 

 

                                                                                (2023.11.07)

 

 

       

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