私は宗教学者でもないし、ましては哲学者でもありません。

ただ、現代は若い人を中心に新興宗教が花盛り。


豊かになった生活の反面心が満たされない・・・・得意げ

何故、若い人たちは宗教を求めるのか?


実は以前、仕事で東京出張の当日地下鉄サリン事件がおきました。叫び

事件の情報は名古屋から載った新幹線「のぞみ」の中で知りました。


そういえば、「阪神淡路大震災」の当日も京都に出張。

電車が遅れ、約束より1時間ほどの遅刻で相手先にうかがうと「あなた達、こんな日によう来ましたなぁ~」

と、あきれられました。

なぜ?か二回とも当時勤めていた会社の社長と二人で出張した数少ない体験の中で起きました。


実は大震災は京都駅から乗ったタクシーのテレビで見ました。ラジオだったかな?



話は脱線しましたが、当時の「オーム真理経」の信者の多くは高学歴。

彼らを正当化する気はまったくありませんが、彼らは勉強に集中し、その果てに「何のために勉強し、何のために生きるのか?」と言う目標をなくしてしまったのではないでしょうかカゼ


例え間違っていたとしてもそれに明確?な答えを与えたのが教祖の「麻原彰晃」だったんでしょう。

ちなみにこの「しょうこう」は「将校」の音を字を変えただけで、過去に戦争を操り「将校」に取り付いた怨念だと知人に聞いたことがあります。



常識のある人間なら、弁護士夫妻を殺したり、地下鉄で無差別に人を殺すなんて間違っていると思うはずしょぼん

でも、その判断が出来ないほど彼らは前途が見えなかったんでしょう。


私は、実家が日本人の多くであるように仏教なんですが、今の仏教はただの「葬式屋」って感じがします。

釈迦は(キリストもそうなんですが)

人としていき方を教えていたわけで、教える対象は「今、生きている人たち」

のはずです。


葬式のときや、仏壇や墓でお経を上げる今の仏教はいったい何?

って感じです。


でも釈迦は元々「仏教徒」ではなく、ただ、「人としてどう生きるべきか。人生は何のためにあるのか」

を教えていたはずです。


本来、宗教は「人としてどう生きるべきか?」

を示すもので、どこかの宗教のように「ご利益」を賜るものではないんじゃないでしょうか?



人としての生きる道は自分で決定するんもので、宗教はそのための歩行器のようなもの。

「人生は自己決定、自己責任」のはず。


この話はまた明日。