「小春日和の午後だった」という一編では、子どものころに
母に教わった花の名を、認知症になった母に教えようとする
と、母は並べた球根をつかんで食べようとするという話――
娘と母の濃密な生活が目に浮かぶ。
老いをむかえてこそ味わえる人間関係、食事、本や歌につい
てのちょっとセンチメントな随筆集。
ーアマゾンより一部抜粋ー
先日、落合恵子さんの講演会に行って来ました。
落合恵子さんは子どもの頃からのあこがれの女性です。
権力に媚びない、弱者の視点を大事にしている。
スプーン一杯の幸せなど落合さんのエッセイが大好きです。
本書は2008年から2011年までのエッセイが収録され
ています。
「夕顔の時間」では孤独死について触れられています。
私などは孤独死予備軍筆頭なのですが、孤独死が恐怖とかみ
じめなものであるという認識はありません。
落合さんも書かれていますが、孤立の中で最期を迎えるのと
選び取ったひとり居の最期は別というのはよくわかります。
ただ、私の父は病院でひとりで息を引き取りました。
これは未だに私には辛い。
父は3ヶ月ほど入院していて何度か危ないというときには駆
けつけていたのですが、最期は駆けつける間もないほどでし
た。
できれば側にいてあげたかったと今でも思います。
「いつかいた場所、いた時間」では「ライ麦畑でつかまえて」
の一節があります。
「未成熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとす
る点にある。これに反して成熟した人間の特徴は、理想のた
めに卑小な生を選ぼうとする」。
生き抜いて年を重ねること、それこそが、ひととしての高貴さ
なのかもしれないと落合さんは書いています。
辛くても生きなきゃダメなんだよなーと選挙結果を見てため息
いっぱいの日々。★★★



