『君たちはどう生きるか』ネタバレ感想 | 平井部

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※ Switch 誌の特集は読まずに書いてます。

 

 

 

 

公開役2ヶ月を経て、2回目を鑑賞してきました。

 

初回はもう、完全にネタバレのない状態で観に行きまして、心の準備がないところに情報量多すぎて、作品全体に対する印象すら茫漠としてた感じだったんですが、案外ちゃんと受け取れてたんだな…と言うことが分かりました。重要なところは潜在意識では受け取れてた。

 

 

宮崎駿監督の本気(と書いてマジと読む)…。

 

 

監督、あえて観客に優しい説明的な描き方はせずに、分かる者だけ付いてこい! …みたいに、全速力で創り上げたように感じました。

 

例えば、“母との邂逅”が重要なテーマの一つである訳ですが、「生と死の世界」において出逢うことになるヒミと眞人が母子であると言う事実、通常なら一番の盛り上げポイントなわけで、気づいた二人が感動のハグ!…みたいなお決まりのサービス展開は一切せず、二人ともに、いつの間にやら(ヒミの方は最初から?)察していて、自然に協力して自らの目的を果たそうとします。

 

説明描写の排除。

 

これは、プロモーション時から徹底されていて、内容もシーンも全く予想できないまま鑑賞に挑むという、全く新しい映画体験をさせてもらえました。

 

 

 

これも異例である、封切り後しばらく経ってから発売されたパンフレット。

 

かなりシンプルでありつつ、しかし本編の内容を紐解く重要なヒントになる言葉とシーンは、はっきり示されてました。例えば、サギ男が抜け出す前の壁画とか、金色の門に記された言葉とか、宙空に浮かぶコアストーンとか、もう一回確認したかったシグナルを「ここはそうだ」と示してくれてた。

 

 

パンフレットには

『生と死と創造の自伝的ファンタジー』

記されていた本作。

 

もう一歩踏み込んで

『世界の真相を描き出した宮崎駿渾身のファンタジー』

と、捉えたいと思います。

 

 

🔥 🔥 🔥

 

 

まず、冒頭の母が入院している病院が火事になるシーンから、思いっきりファンタジーなんですね。

 

眞人のイメージに繰り返し現れる母は、業火に焼かれて苦しむ姿ではなく、紅蓮に輝く炎に取り巻かれた美しき女神のように感じられます。

 

あそこで、死を迎えていたのは確かなのでしょうが、それは単なる死ではなく、“世界を移す”と言うか、“火の巫女(御子)”たる素性を持っていた彼女が三次元の頸木(くびき)から解き放たれると言う意味合いがあったのかも知れません。

 

家から病院に向かう群衆の描写も、悪夢の情景のようにぼやけて歪んでいて、『風立ちぬ』で描かれた関東大震災の描写とは対照的です。

 

あの時点で、現実と異世界が混交していた。

 

 

 

東京から、母の郷里である地方に移住することになり、駅には眞人の新しい母になることになる、母とそっくりの容姿を持つ美しき伯母、夏子が現れる。

 

母を亡くした悲しみも癒えないままに、新しい環境で新しい母を受け入れなければならない眞人。「お腹の赤ちゃん」に触ってみなさいと言う夏子の申し出に、戸惑いを見せる眞人の複雑な心境がひしひし伝わってきました。六年生と言えば立派な思春期ですしね。

 

 

 

案内されたお屋敷は、かなりの広大さであり、古くからの名士であることが窺えます。

 

お土産の食物に吸い寄せられるように登場する、7人のお婆さま方、クリーチャー感強い強い😂

 

基本的には普通のお婆さんみたいなんですが、「生と死の世界」においてキリコさんの部屋に「護り神の人形」として登場したりして、どうも何らかの“お役目”を持って存在しているようです。「7人」と言う符号も、白雪姫の小人さんを想わせたり。あの声優陣の豪華さも、それを物語ってる気が😂

 

キリコさんが、めっちゃ嫌々ながら眞人に同行して、若い頃のキリコとして登場して助力することになったのも、偶然ではないはず。あの“若きキリコ”さんは、神隠しにあった母(ヒミ)に何らかの形で同行して、あの世界に住むようになったのでしょうか。

 

 

ほとんど動きは見せないのに、不思議な存在感を放つお爺さんたちの存在も印象的でした。

 

 

 

眞人が自らの手で頭部に傷を付けるシーンは、とても重要な、ある種のイニシエーションだったんですね。

 

初回に観た際には、あまり意味が分からなかったんです。

 

自分を殴った少年に対する当て付けにしては激しすぎるし、転校生がある種の異物的扱いを受けるのは想定内で、それくらいは受け止める品性を眞人は持っているように思えた。

 

少年との喧嘩がきっかけとなったのは間違いないですが、それだけではなく、母を奪った世界への憤り、戦争に対する憤り、母を忘れて夏子を妻とする父への憤り、そして何より、母を救うことができなかった上、夏子を受け入れられない自分自身への憤り……等がごちゃ混ぜになって、負の感情を刻印するために傷を付けた。

 

噴出する血潮は、彼の行動が異世界にも響いてしまったことの象徴だった。

 

この“負の刻印”が、後の「世界の均衡」を保ち、新たな創造主となる際の選択にも、影響を及ぼすことになります。

 

 

もしかしたら、宮崎監督自身、幼い頃に止むに止まれぬ思いで、自傷された経験があったのかも知れません。

 

 

続きまっす

 

 

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