連作シリーズもののアダルト・ウルフガイの中で、既存のプロットを再構成した物語がいくつかあって、今作もその一つです。
近日公開予定の「スパイダー・バース」アニメにも登場するというウワサの(?)「池上遼一版 スパイダーマン」中の、『スパイダーマンの影』という作品が原型となりました。
平井和正自身は、こういった既存プロットものを「光が落ちる」って述べてるんですが、いやいや、これがめっちゃ読み応えあって美味でした!
ストーリーテリングの巧みさはもちろん、北野雪子、光夫、姉弟の人物造形、特に雪子の心情の機微の描き方なんか、鏑木清方の筆致を間近で眺めるみたいに、上手いなあ……って何度も唸らされました。
少し余談にはなりますが、執筆の順を確認したところ、そのまま収録順に、『狼よ、故郷を見よ』の直後に書かれてます。
さらにさらに、1巻『狼男だよ』と2巻『バラード』の間は、3年ほどのブランクがあって、そうか、例の改竄事件で、シリーズというよりも、作家活動そのものを中断せざるを得なかった時期なんだ!(すいません今気づきました🙇♂️)
この間は、前出の『スパイダーマン』をはじめ、『少年ウルフ』『デスハンター』などの名作コミックの原作を手掛けられ、それを元にした小説、少年ウルフの『紋章』『怨歌』、『死霊狩り』1巻などを書かれた後、アダルトウルフ執筆を再開される。
『故郷を見よ』の項で「第二期 平井和正の最高到達点」と書いたのですが、このブランク期間で、飛躍的に上達されてる感があって、まさに作家としての上昇期にいたしたのだなと思えます。
例の改竄事件がなければ、シリーズは全く別の流れになっていた可能性もある訳で、まったく、作家の潜在意識とはパネェものだなあと思わされます。
この画像は、ハルキ文庫と角川文庫の表紙です。
ノンノベルとは収録順と収録作品が違います。
さて、本編について。
今作のテーマは「不死性の転移」で、少年ウルフと共に、シリーズは最終的に人狼の不死性を狙う「不死鳥作戦」との闘いになるので、そういった意味でも外せないパートかと思います。
冒頭、アニキのブルSSSに二輪でバトルを仕掛け、まったく相手にされないのに、執拗に追いかけ、自身のバイクトラブルで大事故を起こして、瀕死の重傷を負う青年、北野光夫。輸血が足りず、瀕死の状況にある彼のために、アニキは自らの血液を提供する。
この北野光夫もある種の天才で、登場した当初は昭和の映画スターじみた悪の魅力を発散しています。美青年であり、周囲に女の子たちを侍らせて、不良っぽいセリフで如才なく振る舞う。
彼に対峙するアニキの様子、独特の魅力に感心しつつも、雰囲気に飲まれずペースを崩さず、対話でもヤカラとのいざこざにおいても、余裕を持っていなして見せて、やっぱカッケーっすね。
一眼で、光夫が漂わせている危うさ…心の深奥の闇に気づくアニキですが、どこか共感する部分もあったようで、決して見限ることはせずに、離れた場所から見守ってゆく。
ちなみに大藪レース小説『汚れた英雄』の主人公は「北野晶夫」で、「光夫」と一字違い。この辺り、意識的にやられたのかも知れません。
光夫には、儚げな美しさを持つ雪子という姉がいて、この雪子の描写が、ちょっと素晴らしすぎるんです。
苦労に苦労を重ねて生きてきた雪子が、初めて信頼できる好ましい男性、明のアニキに出会って、感動して、いろいろな打算とか、自己否定を滲ませつつも、心を開いてゆく様子が、繊細に描き出されている。
これは一人称小説なので、アニキの方も他人の心の機微が分かりすぎるほどに分かる繊細さを備えてる証左であって、アニキはアニキで心の揺れを経験するんですよね。色恋の問題というよりは、むしろ発達しすぎた保護本能の方で。
世間の悪意に飲み込まれて、水商売で生きるしかなかった女性が、本物の男性に出逢った時に感じる、歓び、哀しみ、そして絶望……。
この辺りはもう、超一流の作家にしか描けない心理描写の匠で、中高生にはこの凄さは絶対分からない。平井先生、夜の街にはよく行かれてたのかなあ。
アニキのパートナーになるには、かなりの御魂のフォースが必要なようで、結局最後には雪子も、切なすぎる運命に見舞われます。
そんな自分を愛した女性たちの苦悩を、全部理解して自分のものとして受け止めて、ずっとアニキは生きてるんでしょうね。
人狼の血を輸血されたことで、不死性を自分のものとした北野光夫。
最初の戸惑いから、暴力衝動を満たして、神出鬼没の強盗になり、全国に名を響かせる公害ゲリラに闇成長してゆく過程が、すごく面白い。
彼は先天的な悪人気質のようで、平気で嘘をつくし、恨みは忘れないし、他人を陥れても全く罪悪感すら感じないようです。幼少期に、父の会社が潰れて辛酸を舐めたことが、性格をねじ曲げた大きな要因ですが、どうもそれ以前から悪鬼的性質は潜んでいたらしい。
移転した能力(パワー)は、満月期のアニキには劣るけれども、月齢には左右されない。
そして人狼の血は、身体能力だけではなく、知能にも影響するようで、ただの不良少年だった彼が、機知と姦計を駆使して、全マスコミを巻き込んで、複数の大企業を吊し上げる、悪魔的なヒーローへと変貌してゆく。
人間は、潜在能力のほんの数%しか使えてないって、きっと真実で、人狼パワーで賦活化されることで、頭脳を含めて能力は呼び起こされる。
ちなみに、少年ウルフにおいては、明の輸血を受けた看護婦さんが、獣人化しちゃってましたけれど、あれは彼女の抑圧され続けた心情が大きく影響しているように思えます。
自らの“影”……「狼人間の悪霊」と向き合うことになる犬神明。
今回のアニキは特にうじうじと迷って、新月期にはウイスキー数本買い込んでひたすら飲んで過ごしたりしてて、そんなやさぐれアニキに、めっちゃ共感しちゃいました😆
自分よりも身体的に優位に立つ、怪物的存在との闘い。
そして、予知夢によってもたらされた「自分が死ぬ」という確信……。
おそらくこれって、物凄く大きな示唆を含んでいて、北野光夫という存在は、アニキの魂に巣食っていた闇的要素が、鏡像として現実化したものに他ならなかったんだと思います。だから対峙することに、あれほどの恐怖を感じていた。
蜘蛛の巣のように絡まる恐怖と逡巡を振り切って、最後にアニキを突き動かしたのは、最も近しい存在から真心を踏み躙られ続けた、雪子の哀しい後ろ姿だった。
“影”を力によって排除するのではなく、他者のための怒りによって立ち上がり、人類の業そのものである怨念に塗れた若者に、自らの能力を付与して現れてしまった怪物的な“影”を、「真正面から見据える」ことこそが、この時のアニキには必要だったのかも知れません。
アダルト・ウルフのメインストーリーからは少し離れた今作ですが、その分、平井和正の小説技巧が存分に発揮された、ファンにはたまらない逸品でありました。