9(承前)
「この台に寝かせて。気をつけてね」
「分かりました」
由紀子の指示に従って、地下のラボに下りてきた康夫が、「んしょ!」っと気合を入れてから肩に担いでいたリープを作業台の上に寝かせる。
「にしても、なんて重い犬なんだ……。よっぽど良いもん食わしてもらってんのかよ」何度目かの感想を康夫はこぼす。
「すっかり冷たくなって、もう息もしてない。死んじまってるんですか?」
「やっちゃん、ありがとう。もう大丈夫よ」作業時にはいつも身につけている、ブカブカの白いツナギを着用した由紀子は、床にのたうつコード類を器用に避けながら、壁際のコンソールを次々オンにしてゆく。思念に集中して、大きな黒い瞳が、神事に向かう巫女の様な煌きを帯びはじめる。こうなると、もう周囲のことは目に入らないと分かっている。康夫はちょっと寂しそうに肩をすくめると、端末でどこかに連絡しながら足早に階段を上ってゆく。
天井からビームが伸びて、リープのボディが脚を上にした状態で宙吊りになる。輪状のグリーンの光線が、鼻先から尻尾までゆっくりと通り抜ける。
「肩間接のジョイントがひどく変形してるけど、これはすぐに交換可能ね」ディスプレイに表示されるスキャン画像を見つめながら、由紀子が言う。
「うん、衝撃で、一時的にメインパワーがダウンしちゃっただけで、大きな問題はないみたい。ただね……」
「ただ?」
「肩の内側に装着してあった予備の電子頭脳が、破損しちゃってる。バックアップはしてるから作り直せるけど、ちょっと時間かかっちゃうね」そう話しながら、由紀子がタッチパネルに指示を入力すると、天井から数本のアームが伸びて、自動的にリープの修復作業に入る。
「ねえ、おねえさん……」アームによって被膜と前肢が取り外され、破損箇所が露わになるリープを見つめながら、ワタルが口を開く。
「リープの電子頭脳、ぼくに見せてくれないかな?」
「? メインの方ね? いいけど?」
一瞬考えて、特に害はないだろうと判断したのか、由紀子はコンソール下部にある金属製の引き出しから透明なケースを取り出し、そっと作業台の上に置く。
「動かないから取り外してあるの。綺麗でしょ?」
それは、青みがかった金属で作られていて、頭脳そのもののような丸い形状をしている。数カ所から、アンテナみたいな小さい突起が飛び出ている。
「当時は、この大きさに収まる記録媒体がなかったから、内部の別素材にプログラムが物理的に刻印されてるのよ」
「もしかして、水晶?」
「よく分かったわね。出来るだけスキャンしてみたんだけど、物理的に破損してる部分もあって、データ穴だらけでね、お手上げ状態。見てみる?」
かなり欠損や、読み取りエラーの多い英数字の羅列が、ディスプレイを流れてゆく。
「欠損だけでなくって、どうしても意味の分からない言語が使われてるのよ……。まさか “失われた古代語” とかじゃないんだろうけれども」
「これ……似てる……」
「えっ?」
「ノーラの基本プログラムに似てる。うううん、根幹はほとんど同じだ。おねえさん、トミー借りるね」由紀子の返事を待たずに、ワタルはコンソール中央のキーボードに向かう。
「ハロー、トミー。今居るかな?」
『ハローワタルくん! 調子はどうよ?』
「ぼちぼち。ねえトミー、ノーラの基本プログラム、そっちにコピーしたいんだ。1テラほど場所空けてくれない?」
『そんなんで良いの? はい、いつでも良いよ』
「ノーラ、トミーにリンクして。許可するから」
「分かった」
右手に立ち上がったディスプレイに、アップロードのパーセンテージが表示される。
「ねえトミー、このプログラムには特殊な言語が使ってある。対応コードと“図象”を得られる場所を指示するから、この“図象”をね、二次元画像ではなく“立体”として認識して欲しいんだ」
『立体なのね? 分かった。やってみる』
「次に、リープのプログラムだけど、英数字の羅列に二系統あるの分からない?」
『えっと、うん、あるね! 二つに分けるとしっくりおさまるね』
「その空白部分、ノーラのプログラムを基準に推測して、埋めていって欲しいんだ。どうしても分からない所はぼくに振って。この場で書き込んでゆくから」
ちょうどポンという電子音が鳴り、アップロードが完了したことが分かる。
『了解! 面白くなってきた!』
「ワタルくん……」ピアニストのような滑らかな指使いで、キーボードを叩き続けるワタルを、後ろから眺めながら、由紀子が呟く。
「あなたなのね……。AIをプログラミングしたのも、ノーラを設計したのも、あなただったのね」