サイボーグ・ブルース | 平井部

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平井和正全作感想シリーズ8 『サイボーグ・ブルース』

 

 

 平井和正の長編第3作。1968年から69年にかけて、SFマガジンにて連作小説として発表されたものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 読了後、まだ少し茫然としております……。

 

 こ、こんな凄かったでしたっけ?(涙)恥ずかしながら、この小説の真価の半分も理解していなかったです。

 

“8マンへの鎮魂歌” として描かれた今作、「サイボーグもの」の小説としては、世界最高峰だと確信します。

 

 アクションもさることながら、サイボーグ特捜官 アーネスト・ライトの苦悩を浮き彫りにしつつ、世界連邦政府によって一元統治された世界での、警察機構と大犯罪組織《シンジケート》との対立構造まで描かれていて、もう三重四重の視点から作品世界を味わうことができて。

 

 また文章も素晴らしい…。

 一流のブルースシンガーの歌唱みたいに、心情を吐露するアーネスト・ライトの言の葉はびりびり魂に響いてきます。

 

 読み切りの体裁なので、大きな流れはありつつ、章ごとに起承転結があるんですけれども、もう冒頭の「フリ」から最後の「シメ」までが奇麗〜にぴったり収まっていて、思わず本を閉じて「うまいな〜」って何度嘆息したことか。

 

 例えば、『暗闇の間奏曲』篇では、人間味を完璧に排除された蠍みたいな存在である殺し屋サイボーグ リベラが描かれるのですが、次章『ダーク・パワー』篇にて“私憤”により文字通り「ブラック・モンスター」と化したライトに破壊され、事切れる間際にかつて自分が手がけた(殺戮した)少女の名前を壊れたオーディオみたいにつぶやき続けるんです。もう名シーンですよね。

 

 このような哀しい “モンスター” を創り出した者達を断罪する、ライトの魂の叫び。

 

 

「平井和正の最高傑作!」として推したいくらいです。

 

 というか推します!

 

 

 

 

 第一のテーマは、言うまでもなく「サイボーグ体を持つことの苦悩」です。

 

 アーネスト・ライトは、“怒り”の感情を燃え立たせることで、自らの人間としての“生”を実感しようとします。肉体を失うことがどれだけの喪失感をもたらすのか…。ライトの“怒り”を追体験することで、単なる想像を越えたレベルで、サイボーグという存在について考察することができます。

 

 

 今作の主旨が「サイボーグ活劇」にないのは明らかで、1章『ブラック・モンスター』のすぐ後の時点で、ライトはサイボーグ捜査官を辞任してしまいます。

 

 彷徨するライトを、犯罪組織《シンジケート》が付け狙う訳ですが、幾多の小競り合いを繰り返すうちに、秘められていた謎が明らかになってくる。

 

 そして、警察機構とシンジケートの対立構造に、《ダーク・パワー》という謎の組織がからんできます。表面的には隠密を保っているものの、彼らは超能力者集団で、既にかなりのネットワークがあり、人の記憶をも自由に改変してしまえるほどのフォースを有しているらしい…。

 

 

 この辺りの「支配構造の変革」が、もう一つの大きな裏テーマではないかと思えます。

 

 

 

 

 ここで、「ポスト・サイボーグ・ブルース」を示唆していると思われる『エスパーお蘭』をもう一度見直してみます。

 

 この世界では、超能力者とそうでない人類が、互いに “モンスター” “猿” と侮蔑し合い、激しく対立しています。超能力者はその能力が明らかになると、捕らえられ、強制収容所にて厳重に管理されます。

 

“念爆者”を捕らえるべく、テレパシストお蘭に協力を求めるのが、「好男子の黒人」の容姿を持った謎の存在、ショウ・ボールドウィン。当初は「大統領特別補佐官」を名乗るも、どうもそれはフェイクらしく、「未確認の人間=電子頭脳複合体組織」に属するサイボーグで、その目的は「人類の再統合」だと…。

 

 おそらく『ブルース』世界の《ダーク・パワー》が勢力を拡大し、人類に宣戦布告し、幾度かの抗争の末、人類側がなんとか優勢を保っているのが『お蘭』の世界だと思えます。

 

 アーネスト・ライトがそのままショウ・ボールドウィンであることはないでしょう。ショウは最後に爆死してしまうので、そう考えたくないってこともありますが(^_^)、彼のキャラクターと容姿は謎の地下施設によって “新たに与えられた” ものですからね。

 

 あるとすれば、「人間=電子頭脳複合体組織」を統括する大元の「意志」そのものが、アーネスト・ライトであったとは、考えられるかも知れません。

 ただ、ボディのみは、ライトのボディが今だ活躍しているように思えて、そう考えるとちょっと切ないですね。

 

 今気付きましたが、「ショウ」は濁点なしの「丈」ですね。

 

 そしてライトの名前は「清廉な光輝」を意味して。

 

 

 

 

『ブルース』の最終章、『ゴースト・イメージ』篇において、ついにライトはシンジケートに捕らえられ、精神制御装置にかけられるのですが、それを契機に“意識を拡大”させ、心理コントロールを簡単に振り払うばかりでなく、「ネオ・アーネスト・ライト」的存在である《私》として覚醒し、《ダーク・パワー》に加わります。

 

 明示はされませんが、はっきりと予知能力である“虫の知らせ”を封じて肉体的な殉職を迎え、サイボーグ体を手に入れたのも、超能力者を集め《ダーク・パワー》を組織したのも、もしかしたら《私》自身の意図だったのかも知れません。

 

 これ、映画『マトリックス』1作目で、ネオが救世主として覚醒したシーンを連想させますよね…。

 そうか…、『サイボーグ・ブルース』も、正しく『幻魔大戦』サーガの一部だったんですね。

 

 

 

 これ以降、平井和正は“狼の時代”に突入し、大ヒット作『ウルフガイ・シリーズ』をスタートさせるのですが、ここまでの「メガロポリス三部作」にはそれぞれ重要なテーマがあり、今作で奇麗に区切りがついているのが分かります。

 

『メガロポリスの虎』では、電脳に統治された、退廃し活力を喪った人類が描かれ、

 

『アンドロイドお雪』では、アンドロイドに憑依した狂気と慈愛が描かれ、

 

『サイボーグ・ブルース』では、機械と人間の魂の融合、さらには超能力が社会を変革する可能性までが描かれました。もしかしたら、拡大した個人の意図を、電脳ネットワークに移植し、反映させることができるのかも知れない…

 

 

 

 いやあ、それにしても、読めば読むほど、平井和正が人間存在について、いかに深く深く考察していたのかじんわり理解できてきて、もう遥か巨人を仰ぐというか、敬虔な気持ちになってしまいます…。ロマンチックな芸術家であるとともに、巨大な哲人でもあったんですね。

 

 ちなみに『サイボーグ・ブルース』から約30年後、「21世紀8マン」として『インフィニティー・ブルー』が描かれています。こちらは、どうも8マンのバージョンアップ体らしい「マシナリー」が登場するのですが、詳細はいずれ。