「平井和正全作感想シリーズ」2です。(1の『超革中』からだいぶ空いちゃいましたm(_ _)m)
って、すいません、時間かけすぎですね……。このペースで行ったら人生最後までかかっても終らないので、週イチ更新目指して頑張りまっす。
基本的に「ネタバレありあり」な感じにはなると思うのですが、結末はなるべく書かないでおきます。
2『悪夢のかたち』(角川文庫版)

平井和正最初期の短編集です。1967年に発刊された処女短編集『虎は目覚める』より六篇に、それ以前、大学生の頃にに書かれたという『殺人地帯』『死を蒔く女』『人狩り』を加えた九篇を収録。故に、『虎は~』よりもこちらの方が、平井和正のデビュー前後をよりよく味わえるセレクトになっております。
角川文庫の背表紙と、生賴範義の濃密なイラストの影響もあるのか、初期平井作品には深緑のイメージがあります。ちょうど『死霊狩り』のゾンビーのように、一見おどろおどろしいけれど、心を澄ませてよく見つめると、泣きたくなるくらいの美しさがある。
後の大作で花開いてゆくテーマの萌芽と平井節が、既にあちこちにちりばめられていて、炸裂する初期衝動の激しさは、ファンにとっては身震いしたくなるほど魅力的です。
『レオノーラ』
平井和正の記念すべき商業誌デビュー作です。1962年、同人誌「宇宙塵」に掲載されたものが、後に「SFマガジン」に転載されました。今気付きましたが、あのビートルズと同年のデビューなんですね。
不幸なきっかけにより、一般市民たちから憎悪の込もった集団リンチを受け、瀕死の重症をおった日系の青年ケンは、極度の人間恐怖症となり、地下室に閉じこもって、妹のジュリ以外とは誰とも接する事のできない悪夢のような日々を過ごしている。
そんな彼のもとに、レオノーラという一体のアンドロイドが派遣される。
激しく拒絶するケンだったが、悪感情を持たない、持つ事が出来ないレオノーラのいじらしさが、彼の心を次第に解きほぐしてゆく……
感情を持てないはずのレオノーラが見せた、悲しみ、喜び、そして慈愛は、単なるプログラミングなどではなく、ぼくはやはり、女神性がアンドロイド体に宿ったんだと思いたいです。それも、『幻魔大戦』で「待つ女」、「最上の妻神」として描かれた杉村由紀さんクラスの女神性が。
別離の恐怖と苦悶に耐え切れず、ケンはレオノーラを撃ち殺すのですが、凶行の果てに、自らの裡に憎悪して止まない「人類の業」がはっきりと存在することに気づいてしまいます。
ケンの絶望は、そのまま青年平井和正が抱いていた人類に対する絶望に通じるのかも知れません。この時点では、アンドロイドにしか神性を付与することができなかった。本当に人類は、地球にとって害毒にしかならない呪われた存在なのだろうか? 平井作品に通底するテーマであるこの問いかけが、既にはっきりと表れています。
『ロボットは泣かない』
アンドロイドものの秀作。家政婦ロボとしてやってきた「特Aクラス」のアンドロイドアンが、無垢で純粋な性情を見せるほどに、彼女をとりまく人間達の醜悪さが際立ちます。
主人公リュウはアンの“人格”を認め、その他の人物は単なる“物”扱いする訳ですが、この辺りの感覚の齟齬はきっと、百万言費やしても分かり合えないのでしょう。
アンは契機となっただけで、リュウとケイの亀裂は元々深かったのでしょうが、これほど人間の悪行と不運を引き寄せてしまうのは、ちょうど少年犬神明が暴力気質の人間を刺激してしまうように、アンドロイドにも“カルマ”が存在するのかも知れません。
希望が全く見えない、二人の逃避行の行く末が気になります。傲岸な人間より、従順なアンドロイドを選ぶ者は多数派なのかも知れませんが、それが逃避に思えるのは、スピリチュアル的な価値観や処世術を身につけてしまったからかも知れません。
『革命のとき』
『ターミネーター』などにも通じる歴史改変ものですが、革命者たちは独特の遣り方で時を遡ります。DNAの遡上? 匂い立つような六十年代の繁華街、風俗の描写が素晴らしい。あの時代に意志の堅固な数千の革命家が表れたら、もしかしたら「革命」も可能だったかもと思わされます。
『虎は目覚める』
人類の裡なる破壊衝動“虎”を扱った作品。
近未来、増加する一方の犯罪者への対応を余儀なくされた人類は、深層催眠技術をメスがわりに、人間精神改革の手術を進めてきた。それは“虎狩り”と呼ばれ、やがてわずかな精神的不均衡すら矯正の対象になり、それは旺盛な創作衝動をも消し去ることに他ならなかった。
当然のように文化は衰退し、都市機構はゴーストタウンさながらの空虚さを見せている。
1年ぶりに帰還した宇宙開拓者:ロケット・マンのリュウは、恋人のサチが何者かにひどく怯えている様子に驚く。シティに表れた「虎」は、むごたらしい遣り方ですでに十一人を惨殺しているという。既に警察も活動を止めており、なす術もない住人はただ身を縮こめて嵐の過ぎ去るのを待っている。
数世紀に渡る人格矯正処置をあざ笑うかのように、ある人間の裡に目覚めた“虎”は、喜悦の表情を浮かべながら都市を焼き尽くしてゆきます。
血の呪い、親子の愛憎、種族的錯誤の大きな反動……いろいろなテーマを孕みつつ、一気にクライマックスの悲劇へと。
矯正すべき暴力的な衝動は、活き活きとした生産活動と紙一重であり、文明発達の原動力でもあったという命題が、この時点ではっきり示されております。
『百万の冬百万の夢』
最近よく見かけます「人生やり直しもの」の一つですが、平井和正の筆は、時間と人生はそんなに甘いものではないことを知らしめてくれます。
物語の構成が解ると、あちこちに仕込まれた伏線の恐ろしさがじわじわ染みてきます。主人公が、この時の煉獄から抜け出せる瞬間は来るのでしょうか。
『悪夢のかたち』
これは『死霊狩り』シリーズの“エピソード0”として読むと、かなり興味深いです。
宇宙からの侵入者が人間に取り憑くところは同じなのですが、今作では完全に「調査員」としての任務に限られていて、しかも宿主の存在を丸ごと簒奪してしまう。この種族は総合的な意識を持つことはできず、自分の役割に関してのみ知識と使命感を持っているらしく。
“ゾンビー”は慈愛の存在であり、宿主に不死性を付与した訳ですから、今作の“彼ら”は、下部存在か、もしくはゾンビーの「ほんの一部」であったのかも知れません。
「憑かれた」存在である中田浩の意識が、次第に朦朧とし、“彼ら”の意図に乗っ取られてゆく描写は圧巻です。
また、中田の略歴には、平井和正の実体験が投影されているようであり、大藪春彦と(『野獣死すべし』の)伊達邦彦の関係を想わせて面白い。
虚空に消え行く中田の慚愧と、女神的な聡明さを持つケイの寂しげな後ろ姿が印象に残ります。
『殺人地帯』
1961年、「SFマガジン」の第一回空想科学小説コンテストにて奨励賞を受賞し、デビューのきっかけとなった作品です。
五度の核戦争を経た未来世界。人類は、中央コンピュータの管理の下、籠で飼われる鳥ように安穏かつ空虚な生を送っている。政府はシティの中に合法的に殺人ができる「殺人地帯」を設立。夜ごと、多くの民が、武器を片手に足を踏み入れる。
人類という種の原罪と儚さを思い知らされる傑作です。行き着く所まで行った科学文明社会が静かに崩れてゆく様相が、見事に描き出されています。
進化した医療技術で美しい容姿を保持し、快適に整えられた住環境に暮らし、なんの苦労も心配もなく生きてゆけるはずの主人公アルは、魂に巣食う虚無に気づき始めています。
隣りに越して来た“ニップ(日本人)”であるミネが、殺人地帯において殺害されたというニュースに「感動」したアルは、あえて危険に身を晒したミネの心情を確かめるべく、ナイフを握りしめ、自らも殺人地帯に向かいます。
「なぜ、こんなことになってしまったのか。それはだれのせいなのか。」
殺すか、殺されるかの極限状態の中で、アルが発したこの問いは、貨幣経済と合理主義にどこか違和感を感じつつも、日々の「仕事」に忙殺され、疑念を無理矢理封じて生きる現代社会のぼくたちが、発し続けている魂の叫びそのままなのではないでしょうか。
今作で、日本という国は核戦争において破壊しつくされ、生き残った日本人たちは差別に耐えながら世界中に散らばるという設定になっています。
“ニップ”のミネが、その容姿も能力も含めて、ある意味現在の日本人を象徴するようなキャラクターとして登場するのが暗示的です。彼の言葉通り、「日本が滅亡したとき、人類の魂もまたほろびた」のかも知れません。底を感じさせない彼は「東丈の一形態」として登場したのかも知れず、「ミネ」に「十人」の型霊を加えると「東丈」になります。
そして、美しい彼の妻は「ミチ(三千子)」であり、四人の愛児と白い仔犬は、それぞれGENKENメンバーとフロイを想わせ……なんて書くとさすがに喜びすぎでしょうか(^_^;;。
作家活動の最初期において、人類の“性saga”を見事な小品に仕上げてしまった平井和正、やっぱり凄いです。
『死を蒔く女』
「思っただけで人を殺せる」女性の物語。
ちょっと余談になるのですが、今作を元にしたコミック版スパイダーマン第8話『冬の女』において、登場した彼女は「斉木美夜」という名であり、あの『悪徳学園』の斎木先生と同じ名前なんですよね。
女性ってほんとに不思議な存在なので、陰の極致から陽の極致まで一気に反転してしまう可能性もなきにしもあらずで。ホラーと喜劇が紙一重なのは、よく言われることですが、そう思って読むと、悲劇すぎるこのヒロインがどこか可笑しく感じられます。久保陽子の原型?
『人狩り』
個人的にもっとも美しいと思える平井和正の短編です。これを電車の中で読んでいて、夢中になりすぎて、駅を乗り過ごした経験があります。
主人公「追われる男」は帰還兵であり、社会に溶け込めず常習犯となり、銀行強盗の際についに殺人をおかし、広大な樹海の中に逃げ込む。
肉体的な苦行を味わいつつ、山脈に抱かれた原生林をひたすら進み続けるうちに、心にまとった被甲がはぎ取られ、素裸の自己が表れてきます。
生きる為に雷鳥を撃ち殺したことで、彼は他の生命を蹂躙し続けてきた人類そのものの原罪を思い知ります。
寡聞にして他に知らないのですが、帰還兵の心情を題材として描かれた小説は、これが最初なのではないでしょうか。『ディア・ハンター』等の優れた映画が作られるのは、20年近く後のことです。
優秀な兵隊であった彼は、行き場を失い、自らの優秀さを証明する為に、犯罪者になるしかなかった。
「俺だって、やっぱり生きていたかったからだ。」
万感の想いが込められたこの言葉は、小説家を志した若き平井和正自身の心情の吐露のようにも思えます。
次第に、人としての活力を取り戻す彼の傍らに、いつの間にか、鹿革をまとった原始の若者の“幻”が付き従うようになります。
そして、ついに見出した「生」の意味合い。全身に満ち溢れる歓喜……
社会に溶け込めず、アウトローとして生きる他なかった彼の生き様は、どこか犬神明を想わせます。彼も“黄金の魂”を秘めた存在に他ならなかったの知れません。
アメリカの帰還兵に関しては、後の『狼のレクイエム第3部 黄金の少女』篇において十全に描かれますし、「原始の若者」はアリゾナの荒野から犬神明を救い出したポペイを連想させます。彼が、もしキンケイドに逢っていたら……空想は尽きません。
もしかしたらSFの範疇には入らないのかも知れないですが、人類の原罪を見据えつつ、ある男の回心を描き切ったこの作品、素晴らしいです。大自然の中で、自分の卑小さを思い知りつつ、それでも愛され、しっかり抱かれているのを理解できているような、なんともいえない切ないこの読後感。ずっと抱き締めていたいです。
リム出版『悪夢のかたち』のあとがきインタビューいおいて特に印象的だったのですが、、「女神(レオノーラ)は撃ち殺されますよね」というインタビュアーの問いかけに、平井和正は「女神は死んでいません」とはっきり述べているんです。
アンドロイドだから修理できるという意味なのか、女神性は不滅で他(多)存在に宿れるという意味なのかは解りませんが、少なくとも、『レオノーラ』のエンディングが悲嘆だけのものでないことは、明らかでしょう。
人類を断罪しつつ、それでも輝く光をはっきり示してみせるという小説形式は、この頃から確立されていて、平井がどれほど真摯に人類の“業(カルマ)”と向き合い続けたのか、はっきり知ることができます。
次回は『メガロポリスの虎』……の前にちょっとおまけ篇を(^_^)