九州日向神話ツアー6 狭野神社 | 平井部

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 霧島東神社を出発し、北に数キロ離れた狭野神社に向かいます。

 この辺りは、神武天皇の生誕の地であると言い伝えられておりまして、天皇はご幼名を「サノノミコト」とおっしゃったり、まさにお産まれになったという場所には皇子原神社という小さなお社が祀られていたり、「皇子川原」「血捨ノ木」などの地名が今も残っていたりするそうです。



 まず、一の鳥居の右手にいらっしゃいましたお仁王さまにご挨拶。かつては別当寺の神徳院の守護神として祀られていた方々で、現在は大豆の神様、足腰の痛みを軽減して下さる神様としても信仰されているようで、沢山のお供えが置かれていました。










 お仁王さま。
 かなりユーモラスなお姿(^_^)。







 この狭野神社、本当に参道がすごいです。







 
 ゆっくり樹々の生気を味わってから、神門を潜って本殿前へ。

 はあっ、こちらもぴーんと張りつめた清々しいご神気です。







 主祭神はカムヤマトイワレヒコノスメラミコトこと神武天皇



 境内の狭野杉は、島津の殿様が植えたものだそうです。













 お参りを終えて、西に1キロほど離れた皇子原神社へ。

 社務所で訊いたところでは「皇子原公園の中にある」ということでしたが、あら、思ってたよりもめっちゃ整備された公園になってます(^_^)。
 真新しい駐車場に車を停めて岡方面を探すと、すぐに石段と赤い鳥居は見つかって。でもご神気濃い感じではぜんぜんないです。






 石段の上にありました皇子原神社。でも、写真で見てました神秘的な雰囲気はもはやなく、その後方には神武天皇の時代を再現した住居と子供たちとかできてしまってました……。いや……あのっ……、寂れるよりはましとはいえ、もうちょっと聖跡を尊ぶ……みたいな遣り方はなかったもんでしょうか……。




 皇子原神社




 表示はなかったのですが、おしらくこれが産婆石(うべし)だと。




 遊ぶ神武兄弟?




 陵墓が沢山ありますようで。





 この時点で午後4時頃で、あと霧島岑神社と、できたら白鳥神社までお参りしたい所だったんですが、この辺りから、早く帰りたかったらしい伯父の機嫌がめっちゃ悪くなってきまして(^_^;;、おれが同行頼んだ訳でもないのになあ……と思いつつも、諦めて帰ることにしました。かなり心残りではありますが、伯父と高千穂登山するのもこれが最後でしょうから、きっと良かったんですね。


 この日は夕方から雨の予報も、なんとか最後までもってくれました。
 帰りはえびの高原を抜けるルートをりましたので、高千穂をぐるりと一周したことになりますね。えびの高原の展望ポイントなどもあったのに、機嫌の悪い伯父を圧して「見たい」って言えない自分の弱さでありました(^_^)。



 天孫降臨の神話に関しては、形而下的な事に絞ってごく簡単に言うと、鹿児島の笠沙の岬にニニギの一団が渡来して、宮崎の辺りで土地古来の王族と婚姻関係を結びつつ勢力を蓄え、霧島を拠点にハヤト族とも深い関わりを持つ様になり、やがて皇子たちが東遷の旅に出る……という感じでしょうか。

 ぼく自身、かなりハヤトの血は引いていると思いますので、実際伝説の地に立ってみると、やはり往時に想いを馳せてしまいますね(^_^)。




 続きまっす