では、「なぜお寺にお参りするの?」って問われれば、それはもう「ステキな仏像さまにお逢いしたいから!」ですね(^_^)。
ぼくはもともと神社好きブラザーで、お寺を好んで廻り始めたのはほんの数年前です。
初めのうちは、もう本当に「仏さま格好イイッ!!」が基本でしたし、ご利益的なことなんて考えたこともありませんでした。実際、神社に比べるとスピリチュアルな雰囲気が漂う所も少なく、気軽な観光気分でお参りすることがほとんどでした。
しかし、数を重ねていると、やっぱりあるんですね~すっごい神気(仏気?)濃い感じが。とくに、数十年振りで御開帳になった内陣に入らせていただいたりすると。
まれにですが、仏さまの御心の限りなく優しい波動がこちらに伝わってきて、泣きそうになることもあります。厳しく怒られた気がして、思わず背筋が伸びることも。
お寺の内陣に仏像が祀られていることの一つの意義って、天界のひな形を示して、ぼくたち衆生が天に心を通じ易くすることにあると思うんです。極彩色に彩られた仏殿の中央に、連弁に乗られた美しい仏さまがいらして。信徒の真心の証である沢山のお供え物に、えも言われぬお香の香り(^_^)。心を落ち着けてゆっくり仏さまに対面することで、軽くあちらに里帰りしたみたいな、非日常感が得られて。
さらに進めば、仏さまからのメッセージを感じられたりするのかも知れないですが、ぼくはまだまだそのレベルには至らないです(^_^)。ふんわり、雰囲気を感じるだけ。それでも、仏さまによってそれぞれ違いはありますね。
お寺さんによって、「◯◯封じ」とか「◯◯の観音」とかの宣伝はされてますが、ご利益をお願いすることは、やはり止められた方がよろしいかと思います。あんまりご利益信仰で数万人が訪れるような、ちょっと「ギラッ」としたような雰囲気の場所で、一心にお祈りされると、逆に乱波動に巻かれて不幸が現われたりもいたします。
ぼくも、西国三十三カ所廻る中でご利益祈願はせず、「観音さまのみ光が、あまねく世界を包み込みますように」と祈念するようにしております。
ただ、自分のことはさておき、愛する周りの人たちのことで悩み事がある時には、やっぱり仏さま、観音さまに縋りたくなりますよね。
ぼく自身、一番怖いのが、自分以外の愛しい存在が苦しい思いをすることです。そういった強迫観念に襲われると「どうかお護り下さい」って観音さまにお祈りせずにはいられなくなります。
まあ突き詰めると、それって神仏に「委ね切って」ないことですし、「お護り下さい」ってお願いするってことは、護ってもらえてない可能性を心で認めてることにはなるんですけれど、でもね、そこまで不動心のある人ってもう「悟り」のレベルで、やっぱりぼくたち常人は、心が弱くなる瞬間ってどうしてもありますよね(^_^)。
ですので、ぼくはこうしてます。お寺さんでは、純粋に仏さまとの逢瀬を楽しみ、後で一人になった時に、イメージに描いた仏さまにゆっくりお祈りするんです。対象は、薬師さまでも、千手観音さまでも、文殊さまでも、その時ふと思った仏さまに。あれこれお願いしなくても、あちらはぼくの悩みも苦しみも全部分かって下さってますから、すっと光が繋がったイメージを得るだけで、すごく心は癒されて穏やかになってまいります。赤子が慈母に何もかも委せ切ってすやすや眠るイメージ。
それでも苦しみが消えない時は、般若心経を写経して、お地蔵さまの前でその苦悩そのものの供養を行います。自分を苦しめている事象に対して、「◯◯よ、自分の所にきてくれてありがとうね。そんなに自分が好きなら、もう全部あげるし好きにして良いよ。だからどうか、幸せになって下さいね」って、その瞬間だけでよろしいですから、真剣に祈るんです。きっと、びっくりするような事が起こりますから(^_^)。
しばらく、真剣な話題が続いてしまいましたね。
読んで下さった方、どうもありがとうございました。
明日は琵琶湖の竹生島にお参りしてきまっす! (^o^)/