平井部

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眞人を「生と死の世界へと誘うサギ男ですが、異界と現界を自由に行き来できる(おそらく)唯一の存在であり、作中もっとも重要かつ謎めいたキャラクターです。

 

おそらく「生と死の世界」で生まれた存在ではなく、もともとこの土地に棲まっていた地主神、もしくは精霊が、多世界に繋がる強力なバイブスを放つ隕石が落下して、取り込まれ、封印されてしまった?

 

青鷺屋敷の壁画が三次元存在となって抜け出してくる描写がありますが、もともと形を持たない御魂だったのが、あの壁画を憑代とすることで身体を得て、サギ男となった…と言う感じでしょうか。

 

鷺は「神聖な神の使い」であると言う伝承がありますが、作中ではまんまその通りではなく、結果としてそんな状況になっているようです。

 

彼は、「母が生きている」と言う甘言で、眞人を「生と死の世界」に誘い込もうとします。

 

これはある意味、嘘でも本当でもあり、肉体的には死を迎えているものの、火の神子として昇華しているし、また「ヒミ」と言う名で若い頃の姿ではあるが確かに存在している。

 

眞人は“新たな創造主”として「生と死の世界」に呼ばれており、その過程で母と“出逢う”ことが必要だった。

サギ男はずっと屋敷を見張りながら、そんな候補者を待ち続けていた。それが彼に課せられた役目だったのでしょう。

 

 

創造主に対して一応の主従関係は認めるものの、完全に配下と言う訳ではなく、不肖不詳役目をこなしている…といった体の彼は、エンディング近くで眞人が発した「友達」という言葉に、初めて素の感情を見せる。

 

おそらく、『千と千尋』に登場したハクのように、名を奪われて封じられた存在だった彼は、複雑で大きなコンプレックスを抱いており、それが眞人に対するぞんざいな態度として現れていた。

 

 

創造主の候補である眞人と、封じられた神であるサギ男が、協力して、和解することこそが、この映画のテーマだったのかも知れません。

 

 

少し前に、東寺の境内で見た青鷺さん。

人通り多かったのに、全然気にしてませんでした。

 

 

 

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異世界へのポータルである青鷺屋敷は、もともと隕石が落下したものであることが、家政婦である老婆の口から語られます。

 

あの大きさの隕石が落下したとなれば、町一つ消滅するくらいの衝撃でしょうから、おそらく数多の次元を貫通するほどの振動を秘めたコアみたいなものが、宇宙(あるいは異次元)から落下、炸裂膨張して、魁偉なドルメンのような岩塊が現れた。

 

古今東西の膨大な書物を読み込んで意識が変容し、「頭がおかしくなった」と周囲に思われるほどに、一般的な慣習や基準から逸脱してしまっていた大伯父氏は、それが貴重なポータルであることを察して、その力を効率的に発揮し、利用できるように、自ら設計して屋敷を建てた。

 

もしかしたら、秘儀を用いて意図的に隕石を召喚した…ということもあったのかも知れません。

 

そして異界に入り、コアストーンと交信し、自ら“創造主”として「生と死の世界」を創りあげてゆく。

 

 

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眞人が「生と死の世界」に入ったのは、世界に囚われてしまった夏子を救い出すため

です。サギ男にたぶらかされた訳ではなく、はっきり彼の意思であったことが、重要なポイントです。

 

 

世界を隔てる金色の門と、アーチ部に書かれた「ワレヲ学ブ者ハ死ス」という謎めいた文字。

 

その奥には巨石が組まれた墳墓。

 

 

ここで眞人を襲うペリカンも謎めいていて、ただ獣的に食欲と攻撃欲を満たすだけの存在かと思いきや、ちゃんと明確な意識を持っていることが後で分かる。

 

暴虐な人類の生存本能の象徴?

 

人に転生するというワラワラを食い散らし、火の力で世界を浄化する存在であるヒミによって焼かれ、追い払われる。

 

 

 

この「生と死の世界」は、三次元に形が現れる前の、雛形的な波動(エネルギー)が醸成される場所であり、映画で描かれていた情景は、それにとりあえずのビジョンを当てはめたものにすぎない。

 

基本的には半物質に近い世界で、そこに眞人たちのような肉体を持った存在が入りこむと、世界全体に多大なる影響を及ぼし得る力を持つ。

 

 

 

おそらくこの雛形の世界で“出産”するということは、世界を新たに生み出せてしまうほどに重大なことで、そのために眞人の弟を妊娠している夏子は世界に引き込まれ、“産屋”の内部に厳重に封印されている。

 

そして、強烈な抵抗に合いながらも、眞人はその封印を解く。

 

夏子を救い出したとも言えるし、世界の再生を止めてしまったとも言える。

 

 

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火の能力を持つ“ヒミ”こと、眞人の母。

 

ちゃんと眞人が未来の自分の子供であることも、夏子が自分の妹であることも、そして「生と死の世界」と現実世界の複雑な関連も、完璧に知悉しており、相当という以上の聡明さを持った神秘的な存在です。

 

 

ヒミ…ヒミコ…火の巫女、という名は、日の御子にも通じて、彼女が現実界に帰還したエンディングは、天照大神の岩戸神話の再現?

 

しっかりと息子と“再会と和解”を果たしたくだりは、男女、母子を逆転させた、イザナミ神と火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)の神話を連想させます。

 

 

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そして主人公である眞人は、なかなか内面を表さない、感情移入のしにくいキャラクターであり、それもこの映画が難解とされた一因かも知れません。

 

彼は、“新しい創造主”そのものの象徴として、描かれていたのかも知れません。

 

「眞人」という名前は、人間が本来そうあるべきな高貴な姿を現す。

まさひと。しんじん。新世界に生きる人々。

 

彼が抱えていた孤独感、世界に対する違和感は、母の田舎に引っ越して以降のものではなく、生来ずっと抱き続けてきたものであり、その苦悩が、人を寄せ付けないようなクールさとして現れていた。

 

 

 

創造主たる大伯父は、もしかしたら閉じられた「生と死の世界」のみならず、物質世界をも創り変えるほどの強大なフォースを有していたのかも知れず、その力を、ついに眞人は受け継がなかった。

 

大衆の象徴であるインコの王によって、世界の均衡は破壊され、中間世界である「生と死の世界」も終焉を迎える。

 

しかしそれは“新たな希望”に他ならず、創造主の意図を介さずに、“眞人たち”一人一人が創造主として、意図の具現化を目指す、新しい世界の始まりであった…。

 

 

母としっかり“再会”を果たした眞人の表情には、子供らしい笑顔が戻っています。

 

悲しみと困難の果てに、サギ男という奇妙な友を得て、伯母と弟を救い出し、父の待つ世界に帰還した眞人。いくつかの選択の末に、彼が選び出したこの世界。輝けるものになると信じたいです。

 

 

 

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なにせ情報量が多いので、特に後半は駆け足で拾えてない部分も多いのですが、とりあえずコアな部分は文章化できました。

 

宮崎駿やっぱり凄かった‼️

 

あえて定石を踏まない遣り方で、世界の真相を二重、三重に描き出してみせた。

 

昔よくあった「十万字インタビュー」とかで、監督の本当の意図を読んでみたいけれど、必要ない気もする…。自分がそう受け取ったのなら、きっとそれは正解なんだ。

 

 

過去作のあれやこれやも改めて気になったりして、今作は宮崎監督の回答でもあるし、挑戦でもあるのかなと、思ったりもしました。

 

 

 

 

※ Switch 誌の特集は読まずに書いてます。

 

 

 

 

公開役2ヶ月を経て、2回目を鑑賞してきました。

 

初回はもう、完全にネタバレのない状態で観に行きまして、心の準備がないところに情報量多すぎて、作品全体に対する印象すら茫漠としてた感じだったんですが、案外ちゃんと受け取れてたんだな…と言うことが分かりました。重要なところは潜在意識では受け取れてた。

 

 

宮崎駿監督の本気(と書いてマジと読む)…。

 

 

監督、あえて観客に優しい説明的な描き方はせずに、分かる者だけ付いてこい! …みたいに、全速力で創り上げたように感じました。

 

例えば、“母との邂逅”が重要なテーマの一つである訳ですが、「生と死の世界」において出逢うことになるヒミと眞人が母子であると言う事実、通常なら一番の盛り上げポイントなわけで、気づいた二人が感動のハグ!…みたいなお決まりのサービス展開は一切せず、二人ともに、いつの間にやら(ヒミの方は最初から?)察していて、自然に協力して自らの目的を果たそうとします。

 

説明描写の排除。

 

これは、プロモーション時から徹底されていて、内容もシーンも全く予想できないまま鑑賞に挑むという、全く新しい映画体験をさせてもらえました。

 

 

 

これも異例である、封切り後しばらく経ってから発売されたパンフレット。

 

かなりシンプルでありつつ、しかし本編の内容を紐解く重要なヒントになる言葉とシーンは、はっきり示されてました。例えば、サギ男が抜け出す前の壁画とか、金色の門に記された言葉とか、宙空に浮かぶコアストーンとか、もう一回確認したかったシグナルを「ここはそうだ」と示してくれてた。

 

 

パンフレットには

『生と死と創造の自伝的ファンタジー』

記されていた本作。

 

もう一歩踏み込んで

『世界の真相を描き出した宮崎駿渾身のファンタジー』

と、捉えたいと思います。

 

 

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まず、冒頭の母が入院している病院が火事になるシーンから、思いっきりファンタジーなんですね。

 

眞人のイメージに繰り返し現れる母は、業火に焼かれて苦しむ姿ではなく、紅蓮に輝く炎に取り巻かれた美しき女神のように感じられます。

 

あそこで、死を迎えていたのは確かなのでしょうが、それは単なる死ではなく、“世界を移す”と言うか、“火の巫女(御子)”たる素性を持っていた彼女が三次元の頸木(くびき)から解き放たれると言う意味合いがあったのかも知れません。

 

家から病院に向かう群衆の描写も、悪夢の情景のようにぼやけて歪んでいて、『風立ちぬ』で描かれた関東大震災の描写とは対照的です。

 

あの時点で、現実と異世界が混交していた。

 

 

 

東京から、母の郷里である地方に移住することになり、駅には眞人の新しい母になることになる、母とそっくりの容姿を持つ美しき伯母、夏子が現れる。

 

母を亡くした悲しみも癒えないままに、新しい環境で新しい母を受け入れなければならない眞人。「お腹の赤ちゃん」に触ってみなさいと言う夏子の申し出に、戸惑いを見せる眞人の複雑な心境がひしひし伝わってきました。六年生と言えば立派な思春期ですしね。

 

 

 

案内されたお屋敷は、かなりの広大さであり、古くからの名士であることが窺えます。

 

お土産の食物に吸い寄せられるように登場する、7人のお婆さま方、クリーチャー感強い強い😂

 

基本的には普通のお婆さんみたいなんですが、「生と死の世界」においてキリコさんの部屋に「護り神の人形」として登場したりして、どうも何らかの“お役目”を持って存在しているようです。「7人」と言う符号も、白雪姫の小人さんを想わせたり。あの声優陣の豪華さも、それを物語ってる気が😂

 

キリコさんが、めっちゃ嫌々ながら眞人に同行して、若い頃のキリコとして登場して助力することになったのも、偶然ではないはず。あの“若きキリコ”さんは、神隠しにあった母(ヒミ)に何らかの形で同行して、あの世界に住むようになったのでしょうか。

 

 

ほとんど動きは見せないのに、不思議な存在感を放つお爺さんたちの存在も印象的でした。

 

 

 

眞人が自らの手で頭部に傷を付けるシーンは、とても重要な、ある種のイニシエーションだったんですね。

 

初回に観た際には、あまり意味が分からなかったんです。

 

自分を殴った少年に対する当て付けにしては激しすぎるし、転校生がある種の異物的扱いを受けるのは想定内で、それくらいは受け止める品性を眞人は持っているように思えた。

 

少年との喧嘩がきっかけとなったのは間違いないですが、それだけではなく、母を奪った世界への憤り、戦争に対する憤り、母を忘れて夏子を妻とする父への憤り、そして何より、母を救うことができなかった上、夏子を受け入れられない自分自身への憤り……等がごちゃ混ぜになって、負の感情を刻印するために傷を付けた。

 

噴出する血潮は、彼の行動が異世界にも響いてしまったことの象徴だった。

 

この“負の刻印”が、後の「世界の均衡」を保ち、新たな創造主となる際の選択にも、影響を及ぼすことになります。

 

 

もしかしたら、宮崎監督自身、幼い頃に止むに止まれぬ思いで、自傷された経験があったのかも知れません。

 

 

続きまっす

 

 

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スーパー&ブルームーンのお月さま🌕、綺麗に出てくれました✨✨

 

うっすら霞のかかった朧月です。

 

 

 

 

 

この写真は先日デビューさせた新しいカメラ📷君で撮りました😁

 

 

300ミリ相当のレンズで、やっぱりオート では全然撮れなくって、マニュアルにしてなんとかこんな感じ。最高級カメラほどクリアではないけど、まあこんなもんかな😁

 

 

 

こちらは雲が晴れた時のものです。

 

もうちょっと露出抑えたらクリアになるかと思ったんですが、やり方わからなかった😅

 

 

 

 

 

ちゃんと説明書読んでないので、おいおい使いこなしてあげます😁

 

 

 

これは標準レンズで。

 

雲が綺麗でした。

 

 

 

今宵はゆっくり満月時間楽しみます♪