この記事は、今日書いた記事ではありません。
これは 11月10日の21時に、落ち込みながら書いてます。
下書きにしてて、今日公開してます。
前向きに立ち直ったその時、その証として 公開しようとしています。
つまり、みなさんがこれを見る頃(今)には、
もう前向きになってるはずなんで安心してください。
只今、10日 21時。
現在の俺は、
泣いてます。
悲しくて。
寂しくて。
こういうのは無理して書く必要もないんだけど、
この気持ち、書いたり 誰かに話さなきゃ、辛くて。
泣きながら書いてます。
最初は書く気力がなかったんですが
気持ちを落ち着かせようと書いてます。
みなさんに大事なお話です。
11月10日(水)朝の9時ごろ、今この記事を書いてる12時間前、
俺がいつものように、朝起きて1階に行くと
一緒に住んでるじいちゃんが、
風呂場の脱衣所で倒れていました。
「じいちゃん!!」って叫んで呼んで、顔を叩いて。
でも、返事がありませんでした。
じいちゃん・・・
死んじゃってました。
手遅れでした。
死亡推定時刻は 同日午前6時。
82歳。来月15日には83歳でした。
俺と一緒に住んでただけに、大きなショックを受けています。
朝風呂に入るのが習慣なんで、きっと朝起きてすぐだと思います。
死後硬直も始まっていて、見ただけで、もう手遅れだと思うほどでした。
救急車を呼んだけど、やはり蘇生は無理でした。
発見から30分後、隣町に住んでる親も来て、
じいちゃんがこんな最期なんで、泣いてました。
突然の死だったので、事件性がないか 警察が来て検死が始まりました。
病院から先生が確認に来て、死亡診断書を作成しました。
死因は 心筋梗塞。
足腰が悪いじいちゃんですが、転倒ではなかったようです。
ちょっとこれ以上の詳細は、俺にとっては数時間前の出来事だし
詳しく説明する気力がないんで勘弁してください。
驚かしてすいません。
今思うこと。
これが夢なら覚めて欲しい。
24時間前に戻って助けたい。
俺が少しでも早く起きていれば。
昨日(9日)の晩まで、じいちゃん いつもの生活だったんだよ。
バレーボールの日韓戦に勝って、じいちゃん喜んでたんだよ。
俺が聞いた じいちゃんの最後の言葉は
犬のキラ子に向かって、「キララはおりこうさんだね。」でした。
これ、じいちゃんがキラ子にいつも言ってる、口癖のようなものです。
20日(土)は俺の誕生日なんだけど、
寿司をご馳走してくれる約束でした。
突然すぎて、色々と現実を受け止められなくて、
思えば思うほど涙が流れてくる。
今、命の尊さを痛感してます。
やっぱ命が一番大事。
でも命は、簡単に あっという間になくなる。
目先の問題から逃げ出そうと、何かあると すぐ「自殺したい」と言う人、
それならお願いです。
そんなに その命がどうでもいいんなら、その命、俺のじいちゃんにください。
もっと生きたいと思って 亡くなった人や
もっと生きて欲しいと願う 残された人達に失礼だよ。
命あるのに、そんなこと言わないでください。
身近な人の死に直面した人の気持ち、分かってください。
俺は今、それだけ命が大事って思ってるから。
もっと生きて欲しかった。
まだまだいっぱいじいちゃんと話したかった。
あまりにも突然すぎて、
1階に行けば、じいちゃんが 今日もバレーボールを見てそうです。
突然すぎるよ・・・。
こないだやっと退院したのに。
前、ばあちゃんの記事を書いた時言ったけど
その人が亡くなってから、その人に「〇〇しとけばよかった」とか、必ず出てくる。
今、何度も何度も何度も、俺が早く起きていればと、自分を責めてる。
これはきっと、その人にどんだけ尽くしてきても、過去を掘り下げて 何かしら出てくる。
うちの家庭事情は訳あって、じいちゃんは両親とではなく、俺と暮らしている形ですが
もちろん、両親も自分達が面倒を見ていればと後悔しています。
でも、俺と過ごす生活は、じいちゃんの希望でもありました。
両親は何も悪くない。
うちの家庭の事情なんで、そこは追求しないでください。
俺ら家族は、じいちゃんの希望とわがままも考慮して
できる中の限界まで、じいちゃんに対して頑張ってきました。
それでも、それぞれが自分に後悔しています。
どんだけ楽しく 一緒に生活してきても、
やっぱ、今となっては じいちゃんに謝りたい事がいっぱい出てきます。
人と人って、慣れ親しんだ分、相手とのコミュニケーションも単調になってきます。
今となっては 「あの時、じいちゃんに冷たく当たってしまったのでは?」と思う事も多々。
謝りたい事だけじゃない。
言えなかった 照れくさい感謝の気持ちだって 伝えたくてしかたない。
言えなかったことが残ると、やっぱ辛いです。
『今はまだ言う必要がないと思っていた言葉。』
『いつか言おうと思っていた言葉。』
『余命が分かっていれば伝えられた言葉。』
じいちゃんの命がなくなるのは
まだまだ遠い日だと思っていたせいで、
言えなかった事がいっぱいで、悔しいです。
毎日会ってたくせに、今は ありえないくらい じいちゃんに会いたいよ。
だから、みなさんには
できるだけ こういう心境にならないでもらいたいんで言います。
身近な大事な人に対して 言い残しがないように、
できるだけ定期的に 感謝の気持ちを伝えるのは大事だと思います。
今ならまだ間に合うんだったら、照れずに言いましょうよ。
あなたの大事な人が、明日突然 亡くなる可能性は 充分ありますから。
でも、俺が落ち込んでても、じいちゃんだって喜ばない。
だからじいちゃん、見ていてくれ。
俺は、これからは もっと喜んで生きる事にするよ。
それがじいちゃんに対する最高の「言葉」。
命を噛み締めて生きます。
良いことも、悪いことも、
その全ての一瞬に、
生きる幸せを感じて生きます。
そして、これからは身近な人に もっと感謝をして生きていきたいです。
日頃の感謝の言葉も、照れる事なく言いながら生きていきたいです。
生きていれば、身近な人の死だけではなく、
色々な場面で辛い出来事は沢山訪れます。
でも、その辛い出来事を、人は乗り越えて生きていくしか手はないんです。
イジメ問題で、自ら命を捨てるニュースなどを目にしますが、
自分に負けそうな人、
辛さから逃げちゃいけない。
誰かに勝たなくてもいいから、自分に負けるな。
耐えて耐えて、何があっても耐えて、
1秒でも長く生き続けてください。
これを書いてる10日現在の俺は、
「ついさっきの出来事」だったので、まだ現実を受け止めきれてません。
しかし、この記事が 今こうして更新されているということは、立ち直ったってことです。
俺が立ち直ってからの報告でないと、みんなに心配かけるしね。
告別式は14日(日)なんで、それを終えたあたりに これを更新してるかな?
そのへんの復活を目標に、今こうして書いて気を紛らわしています。
だから、もう大丈夫です。(10日の今は、大丈夫じゃないけど)
突然驚かしてすいませんでした。
今まで じいちゃんが登場した時、入院してた時、
じいちゃんに対するコメントなど、本当にありがとうございました。
本人に代わって、御礼申し上げます。
じいちゃんへ
じいちゃんと俺で 一緒に生活を始めて4年半。
その生活の終わりが、あまりにも突然すぎて 驚いたよ。
死因は心筋梗塞であったものの
じいちゃんは ここ2年あたりから、
何をするにも足腰が弱いから 危険と隣り合わせの生活だったよね。
それは分かっていたから注意してたはずだった。
でもまさか、心筋梗塞だなんてね。
2週間に一度の 足腰の通院だけじゃなくて
その可能性もあったんだから、
俺がもっと 体調管理の注意も言っていればよかったと、後悔が残るばかりです。
じいちゃんは生活が大変だから、家族全員の希望は、入院か老人ホームでした。
じいちゃんはそれを嫌がっていたけど、引きずってでも連れていけばよかったのかな?
両親も、やっぱり悔やんでるよ。
じいちゃんが頑固じゃなかったら、両親も じいちゃんと住むなりして
もっと面倒を見てもらったりして、何かしら阻止できただけに、全員が悔やんでます。
今朝、俺がじいちゃんを見つけるまで、きっと 苦しくて 寂しかったよね。
もっと早く見つけてあげればよかったのにね。
老衰で死なせてやれなくて、家族全員が 申し訳ない気持ちでいっぱいです。
本当に、本当に ごめんね。
人間というのは 勝手な生き物で、
同じ屋根の下に住んでいると、時間が経つにつれ、ツンとした態度になってしまう。
一緒に居れば居るほど、安心が生じて 相手への価値観が薄れていく。
だから 俺がじいちゃんに対して、
冷たい態度で接していたと 思わせちゃった事も きっとあったよね。
忙しさを理由に、俺は家でキリキリしてた時もあったし。
じいちゃんがベッドから起き上がる時とか、何かを俺にお願いしたくても、
俺の表情を見て、そのお願いを口に出せないで、
自分でやる事もあっただろう。
それを分かっていた 俺自身に腹が立つ。
切ない気持ちに させていた時も あったと思う。ごめんね。
あまりにも急だったから、今でもじいちゃんが生きている気がしてなりません。
現実を受け止めるには、まだまだ時間がかかりそうです。
どうか無事に旅立って、天国では ご先祖様達と仲良くやってください。
そして、ばあちゃんともね。
じいちゃんの人生最後の数年は、身体の問題で 生きた心地も していなかっただろう。
だから 天国では、
足腰を治して 自由に動き回って、好きな事を好きなだけしてもらいたい。
耳も治して 懐かしい人達と再会して、たくさん会話もしてもらいたい。
じいちゃんなら、天国でも充分に 楽しみを探せると思うよ。
ずっと先になるけど、俺がそっちに行った時には、天国の楽しみ方を教えてね。
さっき、じいちゃんのアルバムを見たんだ。
写真が趣味だったから、若かりし頃からのが いっぱい出てきたよ。
その人生、内容の濃い人生だったね。
家族、仲間、趣味。
どの写真を見ても、楽しそうなのが伝わって、
仕事ばっかに追われてる俺からしてみると、どれも羨ましく思えた。
戦争に行くのは嫌だけど、じいちゃんのような人生を送れる事ができれば、
他界しても 後悔は残らないんだろうな、と思った。
前から、じいちゃんを見ていて思ってたことがあって
最期に人生を振り返ってみるならば、
幸せに生きてきた人生よりも、
じいちゃんのように、内容の濃い人生の方が 物を言いそうな気がするよ。
苦労する事があっても、それを乗り越えるからこそ、人生は素敵なんだと思う。
俺はそう思いながら、前向きに 少しでも濃い人生を送っていきたい。
今回のような 悲しみだって、バネにして 必ず良い人生にしてみせるよ。
じいちゃんが生きているうちに 結婚をしたかったんだが、間に合わなかったね。
喜ぶ顔が見たかったよ。
俺もいつかは家庭を築きたい。
その時は、必ず じいちゃんの墓前に報告に行くね。
子供が生まれたら、じいちゃんの事を話して 墓前に連れて行くよ。
一日でも早く、幸せな結婚ができるように頑張ります。
だから、俺を 見守り続けてもらいたい。
俺の家族を 見守り続けてもらいたい。
それが、孫の俺からの最後のお願いです。
そうそう、きっと今ごろ心配してると思うけど、
ラン・キララ・ピカは、俺が しっかり世話していくので 安心してください。
最後になるけど、
子供の頃からの じいちゃんとの思い出は、一生忘れません。
おじいちゃん孝行を たいして できていなかったのに、
俺が大人になっても可愛がってくれて ありがとうね!
じいちゃんへの恩は、俺が頑張って生きていく事で 恩返しさせてもらいます。
これからは、天国で楽しく過ごしてもらえるように、
心を込めてお祈りを し続けるね。
じいちゃんの人生は、立派な人生でした。
だから俺は 胸張って言えます。
じいちゃんは、俺の 自慢のじいちゃんでした。
今までありがとうね!
数十年後の再会まで、バイバイ!
2010年11月10日 孫/純斗より