小さい頃から、車のおもちゃが大好きで、どっちかというとプラモとかラジコンが好きでした。(組み立てて、魔改造して、動かして、壊れて、直すのが好きだった)
親父がサニーで走ってたのと、子供の頃に見た、シルエットフォーミュラーが好きすぎて、レーシングカーの中でも、箱車が好きでした!
だから大人になったら、私もレーシングカーを作る仕事がしたいと思っていました!
そして、その自分が作ったレーシングカーが『おもちゃ』になって、おもちゃ屋さんの店頭に並ぶのが、子供の頃の『夢』でした!
レーシングカー=おもちゃ
だと子供の頃思っていました!
※型がいるとか、何個売れないと商売にならないとか、子供にはわからないので。かっこいいレーシングカーを作れば、おもちゃメーカーが喜んで作ってくれるもんだと思ってました。
そして大人になって、自分でレーシングカーを作って、最高にかっこよかったので、子供の頃の夢を叶えるべく、その写真を持って、とあるラジコンメーカーに、私のレーシングカーのラジコンを作ってほしいと言いに行きました!(^^)
そしたら「無理」と言われまして、断られました!
今思えば、そりゃそうです!
しかし、その時そこの社長に「うちはOEMやってないのでごめんね!自分でラジコン作ればいいやん!」と言われました。
最初「は?この人、何言っとるんや?無理やろ?ラジコン作るとか?」って思ったんですが…
その帰り道「確かにそれはそうやな、自分で作ればいいな!」って思いまして…
その半年後に『試作の初代GRK』が、完成しました!
ちなみに、コウダイに出会ったのは、その頃です!
初代GRK完成して、そのマシンで、コウダイは、うちのワークスになりました!
それが今から、12年前の話です。
それから、さらにラジコンにマニアックに没頭していき、自分たちで考える究極のラジコンマシンが作りたくなって、ソリッドワークスを買って、自分たちでCADで設計するようになり、3Dプリンターを買って試作を作り、ついには金型をつくって、量産型のプラマシンが作るようになりました!
※その後、そのデジタル技術で実車のパーツが作れるようになり、レーシングカーが作れるようになった!ラジコンのおかげ!
それが6年前の話です。
で、量産型を作るようになったので、全世界で販売が始まることになったので、正式なラジコンメーカーになるために「日本ラジコン模型工業会」に入会させていただきました。
それも6年前の話です。
日本ラジコン模型工業会に加盟するときに、推薦者が2名必要なのですが、その推薦者の一人が…
12年前に、ラジコンを作ってほしいとお願いをしにいった「ヨコモ」の横堀社長です!(^^)
12年前に「自分でラジコンを作ればいいやん!」と言って頂いたおかげで、ラジコンメーカーになることができましたので、私にとって横堀社長は、人生の「師」でございます(^^)
そして、初めて会った日から、6年後に、私がラジコンメーカーになろうとしたときに、快く組合に迎え入れてくれました(^^)
そして、その後も会合であったときや、イベント会場であったときに、横堀社長は私にラジコンのことを沢山教えてくれました(^^)
工業会の会員として、しっかりとしたラジコンマシンを作り、メーカーとして問屋さんや販売店さんとお付き合いをさせていただいて、ユーザーフォローもしっかりさせていただく、そういう当たり前に大事なことをちゃんと出来ないと、ラジコンメーカーとは言わない!
模型組合に入り、ちゃんとメーカーとして活動しないと、全国のホビーショップで取り扱っていただけません。
子供の頃には、レーシングカーを作ればおもちゃになると思ってましたが、ラジコンメーカーになってわかりましたが、そんなに簡単にレーシングカーはおもちゃになるわけではなかったです!(笑)
どこのメーカーも「新しいおもちゃ」を作るのは社運をかけてやるぐらい大変なことです。
私は自分でラジコンメーカーを作りましたので、自分で作ったレーシングカーをおもちゃにすることが出来ます!
↑先日のGRK最強決定戦に参加しているすべてのラジコンは、うちの製品です。
これだけ多くの方に使っていただけるメーカーになれました(^^)
↑そして、こんな走りができるラジコンを作ることができました!
そして、そんな我々は、もっと多くの人に、レーシングカーやドリフトをしってほしいと思い…