おやじがレーサーだったので、生まれた瞬間から「鈴鹿サーキット」に連れていかれ、子供の頃の記憶は、鈴鹿にいたという記憶しかないです。
そんな生まれたて時代を鈴鹿サーキットで過ごした俺は、そのまま車好き(レース好き)で育ちました!
「街の車屋」というより、やりたいことをひたすらやる&ひたすら追求するという、もはや何屋か良く分からない会社になってしまいました。
おかんはよく「どこで育て方を間違えたんだろう?」とよく言いますが、いやいや生まれた瞬間から、ガソリン臭い、排気ガス臭い、オイルの焼けた匂いがする、爆音で走るレーシングカーのしかいない、灼熱の鈴鹿で育てりゃ、そりゃこうなるやろ!としか思いません。そう思いません?
23歳になった俺は…
そのまま車屋(R31HOUSE)を自分で立上げました!
30歳の時(2004年)に、オーストラリアにスカイラインを持って行って、ドリフトの大会に出ました!
33歳の時(2007年)に、はじめて「鈴鹿サーキット」を貸し切り、走行会を開催しました!
この翌年(2008年)に、リーマンショックが起きて、世の中が沈み、うちももれなく沈む(汗)
34歳(2009年)リーマン大不況
35歳(2010年)離婚
36歳(2011年)東日本大震災
4年沈んでいましたが…
37歳(2012年)富士SW貸切(レース開催)
38歳(2013年)富士SW貸切(レース開催)
39歳(2014年)富士SW貸切(レース開催)
37歳〜39歳は、人生が再び浮上!散財する!
しかし!
40歳(2015年)おやじ他界
40歳の時おやじが他界して、そこから4年間が、いろんな意味でマジで大変でした!沈んでいました!
ほんと浮き沈みの激しい人生だ。
4年間、なんやかんやいろいろありましたが…
43歳(2018年)コウダイが就職、D1地方戦に出る!
↓
↓そこから5年…。
↓
47歳(2022年)←ナウ
コウダイが就職してから、D1GPに参戦するこの5年間も、まぁいろいろありましたが、なんとか生きてきました!
で、今の状況は、最近のブログで皆様が見ている通りの感じです!
昨年、46歳で、タイヤメーカーを作ることになりました!
コウダイがレースに参戦するようになって、その為のマシン作りをするようになって、うちの技術がどんどん上がっていきました!
イメージしたマシンは、ジャンル問わず作れるようになりました!
レースシーンで、どんどん経験を積んで…
小さいレーシングカー(ラジコン)も、実車の理論とリンクさせながら、相互でレベルが上がっていきました!
「日産」という枠を飛び越え、他メーカーの車種や新型でも、データがなくても、部品がなくても、レーシングカーが作れるようになってきました!(ない部品やほしいと思った部品は、何でも作れる!)
自分たちの作るレーシングカーに、自分たちで作ったタイヤを装着して走る!
これが小さい頃からの「夢」でした!俺は昔からタイヤが大好きな人間でした!
もともとは、コウダイがドリフトで使う為だけに開発されたタイヤでしたが、ドリフト界隈をとびだし、グリップ界隈のユーザーさんにも使ってもらえるようになりました!
あたりまえですが「自分たちがレースで使う為に作るタイヤ」だから徹底的にこだわって作るに決まってるし、自分たちが使えないようなタイヤを販売することはないです!
わざわざ「使えないクソタイヤ」を皆さんに売るメリット、俺にありますか?
シバタイヤでコウダイが戦い、ユーザーさんが、レースで使ってくれたりすることが、ほんとうにうれしくて仕方ありません!
サイズリクエストが炸裂していて、めちゃパニックなうです…。
ということで、今は毎日レース出来る事、皆さんをサポートできる事が幸せすぎます!
来年の東京オートサロン2023の会場内で、シバタイヤパーティしましょうね!(原案)アカデミーショーみたいにやりたい!笑
さぁ1年間、全力でやったります!
コウダイもD1GPやFDJで勝って、この舞台で表彰してあげたいです!
東京オートサロン2023会場でシバタイヤユーザーさんにお会いできることを楽しみにしています!