2月17日の経営者塾が終了してから、久しぶりに40度の高熱が出て今日もまだ伏せている。30年以上も前のベトナム戦争の折り、国連の平和活動でベトナムに住んでマラリアにかかった。いまでも何かがキッカケになってすぐに発熱する。
今回は辛かった。マラリアは普通、年数とともに楽になってゆくが、僕の場合は年齢とともに辛さを増す。今回は神経痛も起き、伏せていても立っていても腰から下が痛くて寝られなかった。口に物を入れられないから、そのせいでここにきて6キロも体重は減った。
■緩みではなく、低脳、人格未熟
この期間に政治家のつまらない発言が次々起こり、その都度ブログでコメントしようと思っていたが、あまりにも低レベルなのでやめた。新聞、テレビの評論は概ね一致、自民党首脳部の意見と同じく、一強多弱による慢心が原因だという。つまり緩んでいるというのだ。果たしてそうか。
「緩んでいる」とは、もともとしっかりしているが、何かの理由で隙間ができたことをいう。僕の評価は違う。自民党は緩んでやしない。「緩んでいる」のではなく、そもそも質が悪い。人格形成の未熟な人間が多いように見受けられる。
その最たる見本が丸山和也の「日本は米国の51州になる」「アメリカ・オバマ大統領は奴隷である」というもの。
このオトコは一体何を考えている。発言の程度の低さに驚いた。脇が甘いことから生じた発言ではなく、このオトコは頭が悪いことがよく理解できる。「真意は伝わっていなかったが、私の言葉にウソはない。どこまでも戦う」だと・・・。
笑わせるな!どこと戦うのだ。誰と戦うのだ。自分の低脳と戦うのか!
脳ができていない人間は、往々にして自分を必要以上に強く見せたくなり、正しい意見を自分への攻撃と受け取って、反省心に倍する敵対感情を抱く。何のことはない、成人式で暴れる若者と同じパターンなのだ。
こんなオトコが法律相談番組のレギュラー・コメンテイターだったことに驚く。マスコミ自身に、そして視聴者に人格を見抜く力が落ちてきた証拠である。
■野田佳彦の実力
それにしても、先日行われた前総理の野田佳彦と安倍の一騎打ちは、見応えがあった。一昔前の力道山対 木村政彦、大鵬柏戸戦以上の迫力があった。
「安倍総理、お久しぶりです。覚えていますか」という質問冒頭の丁寧な物腰に、「テメー忘れてねーだろな、俺との約束」という凄みがあって、いつもの雰囲気で出てくる安倍の姿勢は一変していた。安倍は野田の登場がもっとも嫌だった。安倍は野田が苦手だった。
4年前の衆議院選の敗因は、野田の解散にあると考える民主党の議員たちは、こうした事情に気がつかず、野田を戦犯として誰も近づかず、野田を表面に出させず、日陰者として処遇してきた。そのお蔭で安倍はぬくぬくと力を蓄え、民主党は凋落の道を歩む。
僕は、民主党大敗の日から今日までずっと野田を推し続け、本にも書き発言もし、さらには多くの民主党幹部に直接話までして、野田復活を提言してきたが、誰一人として動かなかった。野田佳彦という人間の人格、見識に目を止める人材が民主党にはいなかったのである。
野田登場の成果は2人が対決する2日前にはすでに現れた。
安倍の指示で自民党内は、議員定数をあっと言う間に10削減を決定。さらに野田登場前の予算委員会の午前中に、中堅の田村に議員定数を質問させたのち、野田の質問の上前をはねたのだった。そしてこの対決は、テレビで放送され、多くの人の目に触れることとなった。
成果というものは、何を行ったかという行為によって生じると多くの人は考えるが、それは誤解だろう。成果は行動を開始する前にすでに決している。それは行動の内容よりも、行動する人の精神や魂の内容に大きく作用される。成果はきわめて人間精神を反映する産物なのである。
つまり成果とは、目標の置き方や行動の仕方、時間の早さや効率で決まるものではなく、もっと別の要素、人格や人間的資質によって左右されることを知らねばならない。
それを理解しない西洋はPDSサイクルを生み出し、リーダーシップ論を生み、組織強化を編み出した。それでいまやっと人間的形成に気がつきはじめ、EQだのコンピテンシーだのと言い始め、最近は易にも言及してきた。
日本はもっと早くから人格に注目し、人間形成を確かなものにする必要があった。わが国が人間的に素質を忘れたツケが、失われた20年なのである。
それにしても「民主党」と「維新の会」の合流問題、あまりに粗末でコメントする必要もない。