DF50型電気式ディーゼル機関車
1978年3月 日豊本線 青井岳付近
昭和31年~38年にかけて165両が製造され
製造当初は 茶色塗装で北陸、山陰、予讃、土讃、奥羽、中央、
紀勢、日豊本線などで貨物列車から特急牽引まで活躍した。
おおきく分類して1060PSのズルツァ機関搭載が1~
1200PSのマン機関が501~に分類されている。
私が意識しだした頃は山陰、紀勢、土讃、で現役で活躍していた頃で
昭和51年8月当時中学2年の時に普通南紀号
紀勢線経由 天王寺(22:40発)名古屋行き(翌日13:08着)に乗り、
オハネフ12に乗車するも和歌山よりDF50牽引に興奮し一睡もできなかった
記憶がある。
山陰を追われ、昭和55年に紀勢線を追われ昭和57年秋、最後のDF50を
追いかけフェリーに乗り高知県土讃線へ行きました。
今でもあの漁船にも似た独特のエンジン音が脳裏に蘇ってきます。
1973年頃
はじめてDF50を見て、当時は蒸機しかカメラを向けなかったが
思わず撮りました。しかもなぜか竜華区で
1978年3月 日豊本線 急行錦江(下り)の車内より。
1978年 紀勢本線
1978年 紀勢本線 多気付近
1~4号機は量産型に比べて屋根のカーブの角度が
ややきつい。
お召し牽引機。 裾の白帯がステンレス
1978年8月 紀勢本線 熊野市
対向列車待ちのあいだに許可をもらって撮影
アフロヘアーの機関助士(^-^;
1980年3月 亀山
1982年11月 高知
HOゲージもやっていました(^-^)
なぜか息がピッタリ合っていたのがうれしかった。
Nゲージ
キハ10と並ぶ 前面強化タイプ
EF61
1976年 大阪駅
1961年からEF60の1次型を基本として
SG搭載、歯車比を変更し旅客用として18両製造。
SG搭載で重量が増加した分、旅客用では必要の無い
バーニヤ制御器、再粘着装置が省略され重量は96tに抑えられた。
新製当初は宮原区に配置されたが翌年には全機広島区に転属。
瀬野~八本松の補機、東京~広島間の寝台特急を
牽引した時代もあり晩年はSGを搭載していることで
主に旧型客車による荷物列車牽引に活躍した。
1984年2月ダイヤ改正で運用からはずされ、
1985年までに全機廃車された。
現在のEF61 200番台はEF60からの改造で初代EF61とは別モノである。
私がEF61を意識しだした頃は夕刻に大阪駅へ
EF61牽引の荷物列車が来ると知り
梅小路の帰路、大阪駅でよく写真を撮って帰った記憶があります。
当時は新鋭っぽい車体にスポーク車輪のミスマッチが妙にフェチズムを
感じました。
1978年3月 徳山
モデルでタイムスリップ (^-^)
ぶどう色2号の横はEF60 500番台
一つライトがいい感じです。
タブレットと腕木式信号機
非電化のローカル線に行けばよく目にしました。
田舎の駅で長い時間列車を待っていて
何回目かの時計のにらめっこをしたとき、駅舎内から
カン・カンと音が聞こえ赤いお稲荷さん(正式名称を知りません)から
タブレットの玉が出てきてまもなく列車が来る事を感じていると
「○○行きの改札をはじめま~す」とスピーカーのそれではない
声が聞こえやがて列車はホームに滑り込んできます。
閑散とした駅に人間くささを感じる一瞬です。
そんなローカルムードをタブレットと腕木式信号機は
増幅してくれます。
少し雰囲気は変わりますが通過にてタブレットを受渡し
(正確には渡し受け)するスリルある光景に魅かれ
昭和50年頃、関西本線で急行かすが亀山~奈良間を
何回乗車したか数えきれないです(^-^;
1977年3月 日豊本線 青井岳 下り彗星2号
(T氏撮影)
都城までラストスパート。
ヘッドマークの無い時代が悔やまれる。
1978年3月 肥薩線 段 急行下り火の国
急行上り火の国 車内より。
1992年 12月 因美線 高野 急行砂丘
1996年 9月 因美線 美作河井 急行砂丘
これが私の見た最後の通過タブレット
キハ82
1961年~1967年に製造された特急用気動車で
ひと昔まえまでは北海道から九州まの非電化幹線で
大活躍していました。
私のなじみ深い80系は電車で10分ほど行った天王寺駅の
和歌山方面行きホームで「くろしお」に使用されていたのが
印象に残ると言うかいつもの光景でした。
たまに先頭がキハ81で最後部がキハ82と言うゼッペキ頭
編成もありました。
乗車した経験は覚えている限りでは1977年1月、中学2年の頃
DD54を撮りに舞鶴、福知山方面へ向かうときに
大阪~福知山を乗車した記憶があります。
確か福知山駅のホームの片隅に キ100ラッセル車が
停まっていました。
あと、幼少の頃(昭和40年前半)に母親の熊本の里から戻る時に
「かもめ」に乗ったらしいですが残念ながら記憶にありません(^-^;
大阪駅にて 「まつかぜ」 1977年1月
紀勢本線 紀伊長島付近 臨時南紀 1991年
紀勢本線 九鬼付近 臨時南紀 1991年
古いカトー製です。
ゴテゴテしたウェザリングと経年変化の色ハゲが醜いですが
お許し下さい(^-^;
はじめまして。
今までもう一つの趣味として
バスフィッシングと日記を中心としたブログ
http://ameblo.jp/tournamenter-shin/
をやっていましたが、今回別に【鉄】ブログを立ち上げました。
かなり時代錯誤な内容も多いかと思われますが
中年のオッサンの楽しみとして細々とやって行きますので
温かく見守って頂ければ幸いです(^-^)
初回は私がガキの頃、何とかナマの目で見る事ができた
現役蒸気機関車C58を紹介させて頂きます。
昭和13年から420両余り製造されたシゴハチ(C58)
どんな線区でも入線できる万能さを買われ
国鉄最後まで残る蒸気機関車の形式のひとつであろうと
当時の本等に書かれていた。
動態保存及びイベント列車を除く現役時代のシゴハチの姿を見たのは
悲しくも廃車目前にともし火を焚いていた昭和46年(当時小学3年)
自転車で10分程で行ける竜華区での姿のみである。
キャノンDemiと言うハーフザイズのカメラで無心に撮りました。
当時、火は落としていたものの193 201号機も扇形庫にいた記憶があります。
私が行く寸前には 80 集煙装置つきの211 354の写真も当時の
クラスメイトに見せてもらった記憶が蘇ってきました。
昭和46年冬 竜華区にて。
この頃は他にD51
DD13 DE10 吹田区のDD51の1ケタ番台
ED60 ED61 EF15 EF52
変わりダネで暖房車マヌ34?等の姿が見られました。
が、その頃は蒸機しか撮ってませんでした。
あと1年早く行ってたら城東貨物線の吹田のD52や
D51ナメクジとも出会えていたかも。
悔やんだところでアフターカーニバル・・後の祭り。
ゆっくり動いていた空気圧縮機とタブレットキャッチャーが
印象的でした。
最初で最後の記念撮影。
モデルで妄想。
川端貨物駅行きチップ積載列車(笑)