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気ままな生活

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    PART  4

       1999年8月2、3日
1998年、那須地方を 襲った栃木県北部水害により、1999年に延期に            
        取水口から奥の二俣へ



              
      奥の二俣付近広川原にて1999年、8月2、3日




 1998年、8月26日~27日、那須地方を襲った未曾有の水害は、この地方史上稀に見る大災害となった。
想像を絶する雨の量は、多数の死傷者を出したばかりか、ライフラインさえ寸断し、この地方を孤立させてしまった。


   牛馬が海に流されたとか、悲しいかな妻の知人の詩人も、家ごと流失し、行方不明となった。多くは海に流されたか土砂に埋もれたと想像された。著名なタレントさんの別荘が流されたとかで、話題で持ちきりになった。


 県内北部の河川は大打撃をうけたことは想像に難いが、月末に予定した、夏休みの最終を飾るべき、大蛇尾源流部への入渓はどうなのだろうと、諦めきれずに大蛇尾林道取り付き、最終集落へと子供達をともなっていってみた。

 林道入り口の最終集落は林道から流れ出た土砂で敷地が埋まり、沫や崩壊寸前であった。道路は抉られ、林道に入ることさえ無理であった。林道を歩いてという方法もあったが、これ程の光景を目にすれば、中止はやむをえないことだった。それでも諦めきれず大蛇尾第一堰堤上におりてみると、見慣れた大蛇尾の風景が一変し、土石流で押し流されたであろう川床が数Mは下がっていた。そうしてその変化した石原に太くやや濁りのある流れがあった。


 「お父さん、あれはッ」と、子どもが指さす岩壁をみれば、変色した垂壁になぎ倒され、曲がった樹木が想像を絶する高さに水線の痕跡があった。                 (   1998年、8月30日)

        1999年・8月2日(快晴)

 昨年の水害で中止となっていた奥二俣の遡行を、林道復旧工事の終了を合図に再開することにした。東沢、西沢二俣にテントを張り二俣以遠をできるだけ覗いてみることにした。林道終点でスーパーで買った弁当で腹ごしらえをしてから歩き出す。

  この日、千葉ナンバーの車が一台だけ。取水のつり橋まで子どもの足でも2時間あまり。取水から釣らずに二俣2時間。休み1時間として合計5時間の予定である。

  今12:00であるから17:00到着予定である
 到着してからサイト周りを釣るには丁度良い時間であろう。しかも二俣までに難所はちょっとしたゴルジュのみ。


 山道を40分ほど入った所にお地蔵さんがある。ここには関東18番札所と書いてあり、往復ともこのお地蔵さんには毎度お世話になっているが、今日は特に念入りに遡行安全祈願をする。

帰りには又,よりますと言って子供達は笑い、8番札所を後にする。この辺の山道は遠望がきくわけでもなく。変化がなく退屈であるが、嫌気が差す頃涼しい沢音が聞こえてくる。冷気に辺りが煙る。

 

 小気味良い音の正体は岩穴から流れ出す豊富な湧水である。直径1Mの岩窟から清水が迸る。ここの水は実に美味しい。大量に持ち帰りたい欲求にかられて一度挑戦したが、往復2時間はつらいものがあったのを覚えている。ここまで来れば取水口は目と鼻の先である。


    

 大蛇尾林道山道にある地蔵尊に安全祈願

 

 

  車止めから一時間ほどの湧水(絶品です)

 かって先人達が、この川にニジマスを放したのだという。その時期が大正時代とも戦前とも言われているが、どうなのだろうか。外来魚問題をここで論ずるつもりも無い。あえて言えるのは堂々と生き抜いてきた彼らに私は賛辞を与えたいと思う。だからといって無秩序に放流をして良いといっているのではない。


 さて外来種のニジマスをなぜ放流したのか、その真意は定かではないが、今のように渓魚が渓魚が少なかったわけでも無く、単に増殖目的で放したわけでも無いとは思うが、この魚種がどうなるのか興味があったのであろう。


ただ私は、意味も無く外来種ということだけで毛嫌いする人がいるが、異国のそれも人知れぬ源流で、ひたむきに命を育む魚達に感動せずにはいられない。
 大蛇尾に初めて足を踏み入れた30年ほど前、この渓の奥深く、2尺を越えるニジマスが入ると聞き、何度か足を運んだものの精々40cm止まりの魚しかみていないが、渓であった釣り人とその話題になると、化けものはいなくなったねの声しか聞かなくなった。

 

 その伝説を守る為、リリースするように心がけている。(今回の釣行でも岩魚ばかりでニジマスは一匹しか釣れず、減少の一途を辿っているように思われる)

       

         道中にある岩壁

     
      
  岩を噛むゴルジュ(今年は水が多い)

 釣りながらの遡行ではないので私はのんびりと歩くが、今年は水量が多く、子供達は気が抜けない。私はよほどことがない限り手を出さないが、寄ると触ると喧嘩ばかりしている二人でも、軽量を補う為には、スクラムを組んで助け合わなければないのはわかっているらしい。

 

 ゴルジュを抜けると穏やかな流れになる。二俣までこののんびりとした流れと付き合うこと30分。くだんの千葉ナンバーの主らしい黄色いテントが見える。

 

 以前より良いサイトがないようでサイト探しに難渋する。私達はその大型テントから上流にわずかばかりの平地を見つけ整備して小さなツエルトを張った。小さいの二人と私だからツエルトでもなんとか眠れるだろう。家でリハーサル済みであるから。

 18:00 山陰に日が沈む頃、二俣の方から大型テントの住人が帰ってきた。釣果を聞くと「まあまあ」とのこと。


  辺りが暗くなり、テンカラのお時間がきたのでテン場の前に竿を出す。その間に子供達に薪集めを頼んでおく。
出るのは岩魚ばかりでニジマスは一向に出ない。3年ほど前私が独りできた夕刻、40cmを頭に出たのはニジマスばかりだったのだが・・・・。
 しかもキープサイズに中々届かない。先ほどの人たちが散々やったのだから仕方がないが、人数分には足りないがなんとか晩のおかず用に2匹キープする。
満天の星空の下、親子三人、ここ数年体調の優れぬカミさんの分まで満喫した。


  

        焚火を囲む                     

 
          朝のテントサイト

  
8月3日、5:00.  
          
  一人そっと起き出し、二俣から上流を釣り登る。以前から西沢は悪水で魚は棲まないと聞いていたので今まで竿を出したことがなかったので、あえて西沢を釣る。合流点からすぐ、待望のニジマス25cmが出る。

 しかしニジマスは激減しているようだ。以前はたわいも無く釣れた物だがこれほど釣れないとはおもいもよらなかった。

 次のポイントで良型の岩魚が出た。しかし渓相は良いのだが岩が赤茶け、およそ100メートル位で全く当りが無くなってしまったから、悪水の話は本当らしい。この辺りで釣りを諦めテントに戻ることにする。

 「ニジマスきれいだね」
 もうすでに起きて岩の上から水面を覗いていた下の子が、嬉しそうに言った。
 「この魚がお父さんが話していた、源流のニジマスなんだ」と上の子。
 「そうだよ、ニジマスという魚は、普通源流部には居ないし、日本の川には棲んでいない魚なんだよ、だからこれは昔人口的に放された生き物なんだ」
 「それにしてもこんな上流で育つなんてすごいよね」
 二人は目を輝かせて頷いた。


   

     大蛇尾のニジマス                 

 
          二俣にて

 早々と朝食を済ませ、三人で東沢を釣ることにする。子供達になんとかニジマスを釣らせたいと考えたが、樹木の生い茂る七滝への渓は毛ばりの振込みには子供達では無理であった。

  まあまあの岩魚が次々にでるのであるがニジマスはでない。前回来た時はニジマスばかりであったが、釣り切られてしまったのだろうか。中流、下流でも釣れたニジマスも、一番魚影が濃いと思われた源流域でも、この状態では絶対数が減り、その命脈は今や風前の灯火と思わざるを得ないのかもしれない。

 東沢の七滝を3つ目まで登り、当りの切れたところで、私達は東沢を後にした。


                                                         終わり