「キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来られた」
ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに
値するものです。私はその罪人のかしらです。
(テモテへの手紙第一1章15節)
今日の箇所には神の御子が来られた理由が記されています。
主が人の姿をとられるということ自体、大きな代償を払うものでした。
それは歴史的なへりくだりであり、
その生涯は人からあざけられ、拒まれるものでした。
主は悲しみの人として知られ、痛みを知る人でした。
それは歴史的なへりくだりであり、
その生涯は人からあざけられ、拒まれるものでした。
主は悲しみの人として知られ、痛みを知る人でした。
しかしそれだけでは人を救うに十分ではありませんでした。
主は十字架で死ななければならなかったのです。
主はご自分の民から見捨てられることを忍び、
ピラトの不正な裁判を忍ばれましたが、それ以上に、
カルバリの漆黒の闇の中で神から見捨てられることを
忍ばなければなりませんでした。
主はご自分の民から見捨てられることを忍び、
ピラトの不正な裁判を忍ばれましたが、それ以上に、
カルバリの漆黒の闇の中で神から見捨てられることを
忍ばなければなりませんでした。
ハレルヤ!
何という素晴らしい救い主でしょう。
-W. H. Burnett
何という素晴らしい救い主でしょう。
-W. H. Burnett
Was it for me, for me alone; the Saviour left His glorious throne,
/私のためだったのですか?
私のためだけだったのですか?救い主は栄光の御座を
The dazzling splendours of the sky; was it for me He came to die?
/素晴らしく輝く天を離れてくださいました
主が死ぬために来られたのは私のためだったのですか
-J. Whyte
/私のためだったのですか?
私のためだけだったのですか?救い主は栄光の御座を
The dazzling splendours of the sky; was it for me He came to die?
/素晴らしく輝く天を離れてくださいました
主が死ぬために来られたのは私のためだったのですか
-J. Whyte