アメブロのあまりのつながりにくさに、

決別を決めました。

がまんの限界です。


今後はこちらでのみ、活動を続けます。


http://blogs.yahoo.co.jp/timothy_temote


以上。

今までのご愛顧に感謝しつつ。

その人には、なおもうひとりの者がいた。それは愛する
息子であった。彼は、「私の息子なら、敬ってくれるだろう」
と言って、最後にその息子を遣わした。(マルコの福音書12章6節)

明らかに、私たちの主がたとえの中で「息子」と紹介したのは、
ご自分について言っておられます。

それは主がご自分と父との間にしかない
特別な関係に気がついておられる証拠です。
「ひとり」とか「愛する」ということばは、
その方より前に遣わされた「多くのしもべ」と主を
区別して描いています。

そして息子が最後に遣わされたということも留意しましょう。

ご自分の御子を遣わされるとき、神は人類に対して
最後のことばを話されたのです。
神の啓示は、神の比類なき愛する御子のうちに
クライマックスを迎えました。

主は今日、私たちの愛と礼拝とを受けるにふさわしいお方です。
-George Hall


Thou are the everlasting Word,/あなたは永遠のことばなるお方
the Father's only Son,/父のひとり子なるお方です
God manifestly seen and heard,
 /神が目に見え 耳で聞かれるかたちで現れたお方であり
and heaven's beloved One./天の愛するお方です
-Josiah Conder
あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、
今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに
帰ったのです。(ペテロの手紙第一2章25節)

ある先生が、子どもに一つの質問をした時の話があります。

「ある農場主が十匹の羊を持っていたとして、
そのうちの一匹が柵の穴からはい出たなら、
何匹の羊が残っているでしょう?」

「ゼロ匹」と返事がありました。

少年はこのように説明しました。
「父さんが羊を飼ってるんだけど、一匹が柵の穴から抜け出ると、
残りの羊もみんなその一匹について行ってしまって、
とうとう一匹もいなくなってしまうんだ。」

アダムは迷い出ました。
そして私たちはすべて羊のように彼について行き、
罪と咎の中へ入っていきました。

しかし今や信仰者として、私たちは良い羊飼いのもとに
再び引き寄せられたのです。
主がご自分のいのちを私たちに与えてくださったからです。

あなたはもう戻ってきましたか。
今日、戻ってきなさい。
-Milton Haack


When we like sheep had gone astray,
 /私たちが羊のようにさまよい出たとき
Our Shepherd came,
 /私たちの羊飼いは来てくださり
And on His shoulders bore our shame.
 /私たちの恥をご自身の両肩に負ってくださいました
-L. E. Smith
あなたがたは地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、
何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の何の役にも立たず、
外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。
               (マタイの福音書5章13節)

塩は非常に役に立つ物質です。
風味を増し加え、清め、そして溶かすことが出来ます。

しかし塩が塩けをなくすと、それはどんなものにも
大して役に立たないものとなってしまいます。

主は私たちに警告してくださっています。
私たちは塩けがあり、主のために役に立つしもべとなりえますが、
しかし同時に塩けをなくしてしまい、
無益なものになってしまう可能性もあるのです。

私たちは今、神に余すところなく用いられていますか。
主は塩けをなくした信仰者たちを回復する働きを
なしておられます。

私たちはいつも塩けのきいたものでありますように。
-Craig Funston


Lord, take my life and make it wholly Thine;
 /主よ 私のいのちを取り それを全くあなたのものとしてください
Fill my poor heart with Thy great love divine.
 /私の貧しいこころをあなたの大きな神の愛で満たしてください
Take my will, my passion, self and pride;
 /私のすべての意志 私の情熱 自身と誇りをすべて取ってください
I now surrender, Lord, in me abide.
 /私は今あなたに捧げます 主よ 私のうちに住んでください
-J. Edwin Orr
こういうわけで、このように多くの証人たちが、
雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、
いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に
置かれている競争を忍耐をもって走り続けようでは
ありませんか。(ヘブル人への手紙12章1節)

漁に使う網を調べていると、一羽の鵜がかかっていることに
気がつきました。

私は手袋をつけて、一時間の作業の後、
ついに何とかその絡みつく「牢屋」から
大きな鳥をはずすことが出来ました。

その鳥はすぐに水の中にもぐり、数秒後に
再び浮かび上がってくると、何とまた網に絡まっていたのです。
まだ教訓を学んでいなかったというわけです!

キリストは私たちを罪からきよめてくださいました。
しかし何としばしば私たちはそこからすでに救い出された
かつてのものに戻っていっていることに気がつくでしょう。

神が私たちを戻って行くことから救い出してくださり、
私たちが前に置かれている競争を忍耐をもって
走り続けることが出来るように助けてくださいますように。
-J. Fleming


Lord cleanse my heart from all its sin;
 /主よ 私の心をそのすべての罪からきよめてください
Make me clean and pure within.
 /内なるものをきよめ純粋なものとしてください
-J. Fleming
イエスは、彼が賢い返事をしたのを見て、言われた。
「あなたは神の国から遠くない」(後略)
                 (マルコの福音書12章34節)

現実は、儀式や形式に勝るものでなければなりません。
これがこの賢い律法学者の気がついたことです。

彼の信仰に、心とたましい、思いと力のすべてが伴っていなければ、
どんな規定された儀式によっても
神の御前に来ることはできませんでした。

では私たちはどうでしょうか。
冷めきったオーソドックスさ(正統さ)を保つのに必死で、
主を見失ってはいませんか。

確かに、主が私たちのために立ててくださった
教えや原理原則、模範には聞き従うべきですが、
主への思いを持たずしてこれらを実践することは、
偽善なのです。

私たちが集会の集いに「姿を見せる」とき、
主は私たちの全人格も「姿を見せる」ことを望んでおられます。

主は「その人の姿が見える」ことと
「その人自身が見える」こととの違いをご存知なのです。
-Rick Morse


Were the whole realm of nature mine,
 /たとえこの自然界のすべてが私のものであったとしても
That were offering far too small;
 /あまりにも小さすぎる捧げものです
Love so amazing, so divine;
 /愛はあまりに驚くべきもの 神なるの愛なので
Demands my heart, my life, my all.
 /その愛は私の心 私のいのち 私のすべてを要求しています
-I. Watts
しかしナアマンは怒って去り、そして言った。
「何ということだ。私は彼がきっと出て来て、立ち、
彼の神、主の名を呼んで、この患部の上で彼の手を動かし、
このツァラアトに冒された者を直してくれると思っていたのに。」
               (列王記第二5章11節)
そこで、彼はその一行の者を連れて神の人のところに引き返し、
彼の前に来て、立って言った。「私は今、イスラエルのほか、
世界のどこにも神はおられないことを知りました。」(後略)
                (列王記第二5章15節)

私たちは「知っている」というより
「そう思っている」ということがどれだけあるでしょうか。

私たちは、自分が人生の問題に対する答えを
持っていると思っています。
自分の人生に対する神の御心を知っていると思っています。
ですから私たちは自分自身の道を進みながら、
自分の選択を主のやり方にふさわしいようにしようとしています。

しかし主が真に導いて下さっていることを知ることが出来るのは、
神ご自身の導いておられる方向へ
自分自身を捧げきった後だけなのです。

主の道こそ、最善なのです。
-A. Fiebig


He leadeth me, O blessed thought!
 /主が私を導いてくださいます あぁ 麗しい考えです!
O words with heavenly comfort fraught.
 /ああ 悩める者を慰める天のことば
What e'er I do, where e'er I be,
 /私が何をしようとも 私がどこにいようとも
Still 'tis God's hand that leadeth me.
 /私を導いてくださるのは主の御手です
-J. H. G.
なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、
善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて
報いを受けることになるからです。
         (コリント人への手紙第二5章10節)

神はすべての信仰者に対して、彼らの罪を思い出さないと
約束されました。(ヘブル8:12)
しかし、主のためになしたすべての業は、
さばきの座に現れるというのです。

主がその業の何たるかをお決めになり、
その業のクオリティーと、その背後にある動機とを
お調べになるのです。

それゆえに主にとって、ご自身の喜びとなった
すべての働き人に対して報酬を支払うことは、
大きな喜びなのです。

私たちはよみがえられた救い主に仕え続けましょう。
この方から私たちは喜ばしい言葉を聞くでしょう。
「よくやった。良い忠実なしもべだ。」
-Bob Cretney


Before His feet they cast their crowns,
 /主の御足もとに 彼らは自分の冠を投げ出します
Those crowns which Jesus gave,/イエスが与えた冠です
And, with ten thousand tongues,/そして1万人の舌が
Proclaim, His mighty power to save.
 /宣言します 救うことのできる主の万能の力を
-B. B.
私の力は、土器のかけらのようになり、かわききり、
私の舌は、上あごにくっついています。
あなたは私を死のちりの上に置かれます。
犬どもが私を取り囲み、
悪者どもの群れが、私を取り巻き、
私の手足を引き裂きました。
                   (詩篇22篇15,16節)

アフリカでは罪のない美しい鹿が追跡され、
追い回されることでしょう。
その力がなくなり、ちりのなかに倒れるまで。

舌は上あごにくっつき、うなりを上げる凶暴な犬が、
ばらばらに噛み裂こうと待っているのです。

何とはっきりとした私たちの祝福に満ちた主の
型でしょうか。
王や支配者たち、宗教に熱心な者や不敬虔な者、
ユダヤ人や異邦人に追い回され、
すべての者がこの方の死を求めて叫び声を上げました。

このことのすべては私たちのためでした。

今日、私たちが主に思いをはせる時、
私たちの礼拝を通して主の心に喜びがもたらされますように。
-D. Croudace


Then that closing scene of anguish;/苦しみの場面が終わろうとする時
all God's waves and billows roll,/神の怒りの波とうねりが主を通り過ぎ
Over Him, there left to languish,/十字架の上には切なる願いだけが残された
on the cross, to save my soul./私のたましいを救いたいという
-J. Hopkins
私の若い時の罪やそむきを覚えていないでください。
あなたの恵みによって、私を覚えていてください。
主よ。あなたのいつくしみのゆえに。(詩篇25篇7節)

繰り返しこの詩篇でダビデは何年も前の過去の罪を思い出し、
恥と深い後悔の念でいっぱいになっていました。

もしキリストにあって成長し、キリストのより近くを歩むなら、
私たちもまた罪に対してさらに敏感になるでしょうし、
犯した罪に対して深く後悔するようになるでしょう。

私たちの良心とともに、兄弟たちを訴える者であるサタンは、
常に私たちに罪を思い起こさせますが、
しかし私たちの祝福なる贖い主は恵みといつくしみのうちに
私たちを覚えてくださっています。

ダビデの祈り、そして私たちの祈りはカルバリにて答えられました。

あなたは自分の罪を告白なさい。
そしてそれらをカルバリに主とともに置いてきなさい。
-Carl Knott


Still the small inward voice I hear,
 /今なおも小さな内側の声を私は聞きます
That whispers all my sins forgiven;
 /私のすべての罪は赦されたとささやいている声を
Still the atoning blood is near,
 /今なおも贖いの血は近くあります
That quenched the wrath of hostile heaven.
 /天の敵対する怒りを消しさった血です
-C. W.