サムソンは眠りからさめて、「今度も前のように
出て行って、(中略)」彼は主が自分から
去られたことを知らなかった。(士師記16章20節)
祭りの期間を過ごしてから、帰路についたが、
少年イエスはエルサレムにとどまっておられた。
両親はそれに気づかなかった。(ルカの福音書2章43節)
何という悲劇でしょう!
自分の計画に忙しくするあまり、主が私たちとともにおられないことにすら
気づかないというのです。

私たちの日々の生活の厳しさは、私たちが主とともにいる時間を持つことを
決してゆるさないでしょう。
私たちは時間を取らなければならないのです。

もし私たちが主は私たちの残り物で喜ばれると考えるならば、
大きくずれてしまっているのです。
霊的に繁栄している信仰者というのは、偶然の産物ではなく、
訓練された習慣の産物なのです。

主とともに一日を始める習慣を開拓することは、
決して無駄にはなりません。
-Sid Halsband


By looking to Jesus, like Him thou shalt be;
 /主に目を留めることによって あなたは主のようになる
Thy friends in thy conduct His likeness shall see.
 /あなたの友人たちは あなたの中に主の似姿を見るであろう
-William D. Longstaff