イエスは、ラザロが病んでいることを聞かれたときも、
そのおられた所になお二日とどまられた。
             (ヨハネの福音書11章6節)
「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は
死ななかったでしょうに。」(ヨハネの福音書11章21節)

祈りは神と話をする手段です。

私たちが心の内の思いを言葉にすることが出来ない時でさえ、
聖霊が私たちの心配事を父なる神の耳元へと持って行って下さいます。
しかし、忘れてはいけないのは、答えを与えることができるのは、
神だけであり、また神ご自身の時にかなわければならないのです。

私たちは、祈りを自分の思うところに結びつけたり、
壁の時計に結びつけたりすることができません。
答えは、イエス、ノー、あるいは「待て」かもしれないのです。

マルタは助けを求めて、イエスに絶望的な嘆願を送りました。
しかし主の答えは、彼女が望んでいたものでもなければ、
彼女が望んでいた方法でもありませんでした。

主は一つの教訓を教えるために、2日待たれたのです。
その教訓とは、病をいやすことについてではなく、
死人をよみがえらせることについてであったのです。

主を信じ待つことの方が、どれほどすばらしいでしょうか。
-C. Tempest


I am praying, blessed Saviour, and my constant prayer shall be
 /祝福に満ちた救い主よ 私は祈ります 私の祈りが
For a perfect consecration, that shall make me more like Thee.
 /完全な献身を求めるものとなりますように 
      完全な献身こそ私をますますあなたに似せるでしょう
-F. Crosby