「さあ思い出せ。
だれか罪がないのに滅びた者があるか。
どこに正しい人で絶たれた者があるか。」
(ヨブ記4章7節)


ヨブの友人エリファズのこの質問は、
彼が苦しみについてどう考えていたかを示すものです。
彼が誤解していたのは、罪ある者だけが苦しむということです。

しかしながら、みことばは多くの信仰の人や、正しい人が
何世紀もの間、自分の信仰のゆえに苦しんできたことを教えます。
しかし、キリストのように苦しんだ者は誰もありません。

私たちが聖書を開くと、キリストが何度も
無罪であることが宣告された後で、
どのようにして十字架にかけられたのかがわかります。

主には罪がありませんでしたが、私たちは罪人でした。
主は正しい方でしたが、私たちは不義に満ちた者で、
主は私たちの身代わりに苦しまれたのです。

だれか罪がないのに滅びた者がありますか。主イエスです。
どこに正しい人で絶たれた者がありますか。カルバリの丘です。
それはどうしてですか。私たちのため、私のためです。
-Carl Knott


Behold! A spotless Victim dies, my Surety on the tree;
 /見よ! しみのない犠牲 私の保証人なる方が十字架の上で命を落とす
The Lamb of God, the Sacrifice, He gave Himself for me.
 /神の小羊 唯一のいけにえ 主が私にその命を与えられた
-Unknown