「これらの座には、(中略)金の冠を頭にかぶった二十四人の
長老たちが座っていた。二十四人の長老は御座に
着いている方の御前にひれ伏して、(中略)自分の冠を
御座の前に投げ出して言った。」(ヨハネの黙示録4章4,10節)
「また、私は開かれた天を見た。(中略)その頭には多くの冠が
あって(後略)」(同19章11,12節)

やがてクリスチャンは冠を受けます。自分の業の報いを受けるのです。
しかし、主を目の当たりにする時、彼らは主の威光に心奪われるあまり、
主の御足もとに冠を投げ出してしまうのです。

天が開ける時、主は頭の多くの冠とともに現れるのです。
主はそれに相応しい方です!
肝心なのは、私たちのための冠がいくつ用意されているかではなく、
むしろ主のための冠がいくつあるかなのです。
-Rex Trogdon



Must I go, and empty-handed? Must I meet my Saviour so?
 /私は行かなければなりませんか むなし手で? 
    その状態で私の救い主とお会いしなければならないのですか?
Not one soul with which to greet Him: must I empthy-handed go?
 /主にあいさつするのにたましい一つだに得ずに 
    私はむなし手でいかなければならないのですか?
-Charles C. Luther