しかし前にも言ったとおり「すべきこと」とはその都度、瞬間瞬間で変化しているような気がするのです。
それこそ小便だって、なぜわざわざトイレに入って便器に向かってするのかといえばやはりそれは「するべき」だからですよね。カフェのソファで小便したら絶対周りの人は困ります。だから尿意をもよおした時ってのは、トイレに行くっていう行為が「 するべき」行為であり、それはかつての日本語の概念でいえば立派な仕事なのではないでしょうか。
腹が減ったら飯を食うし、暇になったら友達と遊ぶ。つまり生活そのものが仕事とも言えるし、遊びが仕事とも言える可能性だってあるわけです。これには高城剛もびっくりですね。
つまり仕事とは突き詰めるところ生きることと同義なのではないでしょうか。