「う」群青色…清濁あわせのんで生み出す海の色。
まだ日が昇る前の海はあなた自身の無限の可能性に満ちた深い闇から、徐々に光とともに何かを生み出す予感に染められていきます。
ことだま「う」は欲望そのものを表し、宇宙を舞台にした人間の存在そのものを表します。
太陽が顔をのぞかせる前の漆黒の闇から群青色のほの暗い海の前に立っている自分をまずは想像してみてください。さあ、あなた自身がこの世に存在する役割を知る哲学の旅の始まりです。
「お」百塩茶…百は回数の多いこと。「塩」は浸染をいい、染め重ねた色のこと。
そして空は白み初めて、あなたの足元には幾千の、いえ無限に続く打ち寄せる潮騒、さざ波が見えてきました。海の水は塩をたくさん含み、蒸発すると白い結晶になって存在します。離れてみると群青色の海も砂浜の上に押し寄せる無数の波に取って代わります。
ことだま「お」は形にして現実化する時の響きです。しかしあなた自身は海も波も、砂浜も創り出す事は出来ません。それは日本では万物は全て神が創られたものであり、人間はそこに立ち尽くし感謝して生きていく存在であるということです。
「あ」茜色…太陽によって一日がアケル色。太陽神の色。
そんな潮騒を耳の裏で聞きながら、太陽が赤く空を染めていきます。この色に染まった空を見上げて古代日本人は「あ」と発音してきました。海を見つめ(欲望を内に秘めて)、足元の幾千ものさざ波を足裏に感じ(行動するということ)、ここに来て一日の始まりである太陽の神に感嘆と喜びを感じ、のどを広げて「あ~」と口から漏れたのです。
そうそれは人間の発想、自己発する最初のひらめきでありました。
「え」橙色…代々栄えるという縁起から正月の飾りに橙の実は用いられる。
今、あなたはこの世が太陽とともに始まり、海と空と波の自分の間に、初めて他人が存在していることを知ります。あなたがこの世に存在し、自分であることを知るのはまさに他人の存在があってのことです。自分以外の人という生き物に自分がしてほしいことをしてあげること。その探究心は集団生活の始まりです。漆黒の海から、空が白み始め、茜色に染まる海と空に感嘆し、隣にいる他人に「え」という響きで同意を求めたのです。
あなたと私は、同じ海と空と波の中で優しい気持ちに浸っている。そんなドラマを想像してみてください。
「い」黄蘗色…古来から胃腸薬に用いられたみかんの色。
そして、宇宙が、海が、空があり、足元には波が打ち寄せて、隣にたたずむ他人がいる。それら全ての感動をことだま「い」があって初めて言い表すことが出来ます。そう神様は人間に感動を伝え合うことを教えてくれました。それはただ単に頭を使っているのではありません。日本人は消化器官を「胃(い)」と発音し、命、生きるという単語を生み出したのも、このことだまが人間の感情の発露であることを意味しています。神道で言うところの「斎く(いつく)」という言葉は人間が神様に感謝の気持ちを述べることを言い、五作(いつくる)という五つのこのことだま母音で自我意識と自然の関係を認識してきたのです。
2010年「つぶやく色、観ることだま」書籍化予定
(監修/天馬黎)


