先週、「島原・天草キリシタンの旅」はトラブルがなく無事に終え、帰ってくることができました。最終日6/20(木)はあいにくの雨でしたが、旅の間はそんなに強く降られず、皆さんずぶ濡れになることはありませんでしたので良しとしましょうおねがい 守られたことを感謝いたしますお願い


さて、天草には世界遺産に登録された場所が一つあります。「天草の崎津集落」です。

2日目は先ずここからスタートしましたウインク

遠くからでも一際目立つのが、崎津集落のランドマーク的な建物となっている崎津天主堂ですルンルン

晴れわたって、しかも波がなければ、海面に天主堂が映ることもあるようですが、今回は建物の先が少しだけでしたアセアセ

世界遺産への登録までの道のりはとても長く、長崎や天草の現地の方々がかなり苦労してくださったおかげで、6年前の2018年7月、正式にユネスコの世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として登録されました。

この「天草の崎津集落」はその一部です。

この集落には「トウヤ」と呼ばれる細い路地が至るところでみられます。民家と民家の間に作られた海へ繋がる道のことで、昔は海そのものが玄関口だったので、このような道はとても重要でした。ここ崎津の独特の街づくりだったのかもしれません。また海に面したところには「カケ」と呼ばれるテラスのようなものもあり、人々の交流の場として利用されていました。

トウヤやカケは今でもあちこちにあり、当時の面影を偲ぶことができます。

江戸時代、禁教令が発令され、キリシタンに対する厳しい弾圧がありました。

ここ天草にもその波が押し寄せてきましたが、それでも地元の人たちは「潜伏キリシタン」としてキリスト教を守ってきました。ところが1805年になってそのことが露見して、「天草崩れ」が起きました。「崩れ」というのは多くのキリシタンが検挙されたことを意味します。

他の崩れで多くの犠牲者(殉教者)を出したにもかかわらず、「天草崩れ」では厳罰されたことは全くなく、異宗者として扱われたようです。

その崩れの際に、吟味を受けたのがこの崎津諏訪神社と言われています。

当時、天主堂はありませんでしたが、現在の天主堂の場所には吟味にも携わった庄屋の家があったようですから、何か感慨深いものを感じます。

崎津集落の中心的な建物、崎津天主堂です。中は撮影禁止のため紹介できませんが、教会としては珍しく畳が敷いてあり、そこは座って礼拝が行われているそうです。和式の礼拝ですねおねがい

崎津集落の名物「杉ようかん」です。羊羹というよりお餅のようなお菓子ですが、杉の葉を添えて杉の香りをつけるのが特徴です。

食べ頃はその日、遅くとも次の日くらいまでには食べてしまわないと固くなりますので要注意です爆笑

6月下旬なのに、しめ縄が飾られているのは、「ここはキリシタンの家ではないですよ」という昔からの習慣で特に天草地方ではよくこれが見られます。年中この状態のようです。

もちろん、今は潜伏キリシタンという括りで判断しているのではなく、あくまでも昔からの風習なので悪しからずニヤリ