今回はイスラエルの平原の一つ、エズレル平原を紹介していきます。

 

エズレル平原は、イスラエル北部で最大の平野部です。北にガリラヤ山地、南はギルボア山やサマリア山地、東にヨルダン渓谷、西にはカルメル山とハイファに囲まれています。

「エズレル」という名前は、“神が種を蒔く”というヘブライ語יזרעאלから来ています。
その名前の如く、古代から現代までこの平野では麦をはじめ多くの穀物が栽培、収穫されますので、イスラエル最大の穀倉地帯としてとても有名な場所です。その面積は約830万平方メートルもあります。

また、日本の関ヶ原(岐阜県)や川中島(長野県)のように、東西南北を結ぶ国際的な道が通っているため、昔から多くの戦いがあった古戦場としても知られています。

旧約聖書ではタボール山付近での女預言者デボラの戦い(士師記4〜5章)やハロデの泉付近で起きたギデオンの戦い(士師記7章)、サウル王とその息子ヨナタンらが戦死したペリシテ人とのギルボア山の戦い(サムエル記上31章)などが有名です。

 

エズレル平原には、その名前の由来の一つにもなった、エズレルという遺跡があります。

列王記の中に、ナボテという人物が登場しますが、そのナボテが所有していたぶどう畑をめぐり、時の支配者アハブ王がその土地を譲ってほしいと願いましたが、ナボテは先祖代々の土地ということで譲ることをしませんでした。王様が希望するくらいの良いブドウ園だったのでしょう。

そのことを聞いたアハブの妻イザベルはナボテを町の住民に石で撃ち殺させ、ぶどう畑を奪ってしまいました。それが預言者エリヤの耳に入り、イゼベルがエズレルで死ぬことを預言しました。

(列王記上21章)

その後、エリヤの預言のごとく、イゼベルは宮殿の欄干から落ちて亡くなります。(列王記下9章)

ここの遺跡はその当時の頃のものとされています。

 

エズレル平原にはいくつかのキブツなどの農業共同体も点在しますが、この地域の中心となる町アフラがあります。

現在、約64,000人が住む街で、「エズレルの首都」と呼ばれることもあります。

アフラのバスステーション

数年前に久しぶりに訪れたら、30年前とほとんど変わらないバスステーションの雰囲気に懐かしさとともに感動しました。

今から30年以上前に初めてイスラエルへ来た時、アフラ近くのキブツに滞在していたので、何度も通った町でした。

最初訪れた時には、学生証用の写真撮影や米ドルからシェケルへの両替、身の回りの品をスーパーで買いましたが、キブツヘ戻る前にどこかで昼食を取ろうと思って立ち寄ったのが、イスラエルで最初の外食となる、ファラフェルサンドでした。

アフラは大豆や穀物を扱う町としても有名でしたが、ひよこ豆料理のファラフェルはコロッケのように揚げたものでそれを5〜6個ピタパンに挟んで、数種のサラダをトッピングして食べるファーストフードです。

そのファーストフードを初めて食べた時の印象はあまり良くなく、これから少なくとも数ヶ月はこの料理を食べていかないといけないのか、と幻滅したことがあります。

でも、その後はイスラエル各地のファラフェルを食べましたが、一番美味しいと思ったのはアフラのファラフェルです。

ちなみに、アフラのファラフェル屋さんの一つ、ミフガシュゴラニというお店ではちょっとしたパフォーマンスをしてくれます。

注文すると、揚げたてのファラフェルをトングで挟み、それを空中へ上げて、ピタパンで受け取るといった感じです。それを繰り返した後、手渡してくれます。

 

あとはスタンドに置いてある数種類のサラダやゴマのペーストやソースを自分好みにかけて、ファラフェルサンドの完成です。

 

エズレルの首都アフラで、ぜひ美味しいファラフェルを召し上がってください。