シャローム!
マーニシュマ?(お元気ですか?)
イスラエルでは昨年の10月7日以降、いまだ戦争状態が続いています。
そんな中、個人的な話ではありますが、妊娠・出産をイスラエルで経験しました。
今回はイスラエルで妊娠・出産を経た体験談、そして育児について紹介したいと思います。
ところで、皆さんはイスラエルの合計特殊出生率(1人の女性が一生で産む子どもの数)はご存知でしょうか?
実は、3.0人(2021年)、つまり一人の女性が産む子どもの数は平均3人ということです。さらにユダヤ教超正統派だけの出生率を見ると、平均6.7人。アブラハムには、7人の子~という有名な童謡がありますが、まさに旧約聖書に書かれているアブラハムの時代からこの現代まで、聖書の教えを守っていることが数字からもわかります。
これだけ赤ちゃんが産まれているなら、医療も問題ないはず!とあまり心配せずに妊娠期間を過ごしました。
(写真:宗教家とその子供たち)
妊娠から出産まで一つの病院ではない!?
イスラエルの妊婦健診は、加入している保険組合の病院もしくはプライベートドクターに通うことになります。妊娠37週目までは、毎月1回ほど通います。
わたしはプライベートドクターに通いました。
毎月エコーで心臓が動いているかをチェックしたり、子宮頸管の長さを測ったりします。これは日本と変わりません。
日本と違うところは、プライベートドクターは問診担当のみである、ということです。血液検査をするには血液検査をするために他の病院へ、詳しいエコーや出生前診断のテストを受けるにはまた他の機関に行かなければなりませんでした。さらに出産する病院も別でした。
プライベートドクターは、毎月の健診のほかにも、24時間いつでも心配なことがあればメッセージでやりとりができました。ただ、2回ほど健診が受けられなかったことがあります。1回目はドクターが日本へ旅行するということでお休み、2回目は戦争が始まったので外に出られず、病院が休みになったため。
イスラエルらしいといえばイスラエルらしいですし、代わりのドクターの健診もなければ、振替があるわけでもありませんでした。
ところで出産はどこで行うかですが、先ほども書いたように、イスラエルでは出産に特化した病院(日本でいうと産婦人科がある病院や助産院のようなところ)で産みます。自分の希望するお産ができるかどうか、安心して産めるかなどを事前に病院を見学してから出産する病院を決めます。
38週目まではプライベートドクターのところへ、39週目以降は出産する病院で健診を受けます。今回は、39周目の健診の際に、お腹の赤ちゃんがかなり大きくなっているということで即入院することになりました。
いきなり入院、そして出産
いつも通り健診のつもりで来たら、即入院を言い渡されたわたしは、一人で呆然と座っていました。すると隣に来たお腹がものすごく大きい40代くらいの妊婦さんが、声をかけてくれました。
お姉さん「あなたもこれから出産?」
わたし「はい。急に今から入院するらしくて…」
お姉さん「心配しないで、大丈夫よ。わたしも今から産んでくるの」
わたし(まるでジョギングに行くような気軽さ!?)
「ところで何人目ですか。」
お姉さん「3人目!上の二人も4キロ超えてたから、この子も超えてると思う。」
わたし(そりゃこんなにお腹が大きいわけだ!)
お姉さん「呼ばれたから行くわね。絶対大丈夫よ。産んだタイミングが一緒になって病棟で会えると良いわね、またね!」
緊張してガチガチだった初産のわたしに、意外と出産って大丈夫なのかも、と思わせてくれた先輩でした。
結局それ以降会えませんでしたが。
(写真:待合室には陣痛を耐える妊婦のためのバランスボールが常に置いてある)
そうしているうちに、入院の準備が終わり、促進剤を入れて10時間の陣痛の後に分娩室へ移動しました。分娩室では無痛分娩の薬を入れられないことがわかったり、最後に赤ちゃんの頭が骨盤に引っかかって出てこられずに帝王切開になったりしましたが、無事に出産できました。
分娩室では、ずっとそばにいてくれた助産師さんが、もう少しで生まれるタイミングで「シフトがここまでだから、赤ちゃんを取り上げられないのは残念だけど帰るわね!あとは頑張って!」と交代したり、隣の分娩室では産まれたあと親族一同10人ほどが入っていって「マザルトーブ(ヘブライ語でおめでとう)」と大声でお祝い(まるでパーティーのよう)して驚いたりと、ここでは書ききれないほどイスラエルらしいことがたくさんありました。
振り返ると笑ってしまうくらい面白かったです。
(写真:産まれてすぐ)
戦う民族の国だから!?
帝王切開の12時間後にはお尻に鎮痛剤を打ち、とにかく歩いて、自分でトイレに行って、母体を回復せよ、とのことでした。そして産後42時間後には退院しました。日本では普通分娩でさえ数日入院すると聞きました。
イスラエルの普通分娩だと産後翌日退院なので、ある先輩ママは、やはりずっと戦ってきた民族だから、すぐ動けないと生き残れないのかしらね、と呟いていました。
私は初産だったので、退院後そのまま病院に併設されている産後ホテルに2泊しました。その後、ホテルでオムツの替え方や生活の仕方を学びました。
(写真:入院中の食事)
(写真:産後の歩行練習・イメージ)
子どもは国の希望
戦時中に妊娠・出産、そして子育てを経験することになるとは、イスラエルに住み始めた頃には思いもしませんでした。そのような時だからこそイスラエルの強さを目の当たりにしました。
例えば、シェルター。
産婦人科の病院のシェルターはどこにあると思いますか?
それは赤ちゃんを夜間に預けたり、検査や治療を行う新生児室です。この国で一番に守られるべきは赤ちゃんなのです。
(写真:新生児室)
また、多くの人が予備役で召集されているので、入院中には、銃を持ったまま急いで病院へ駆けつけて来るお父さんを何人も見ました。国を守りながら、赤ちゃんを育てるお父さん、戦地にパートナーを送って出産したお母さん、簡単にできることではないと思いました。
今ではわたしが戦争中のイスラエルに残って出産したこと、子育てしていることを周りの方々が喜んでくれます。「子どもは国の希望よ、生まれてきてくれてありがとう」と息子に声をかけてくれる方もおられます。
最後に
今回はイスラエルでの出産についてでした。
イスラエルは今もなお戦争状態にあります。わたしの友達も予備役として召集されています。
これ以上双方の犠牲者が増えませんように。ガザにいる人質が家族のもとに帰れますように。
イスラエルの上に平安を祈ります。