カイザリヤの第2弾をお送りいたします。

 

前回、カイザリヤの遺跡の入り口にある劇場をご案内いたしました。

 

 

劇場(地図の①)の舞台の方から海の方へと歩いて行くと、視界の開けた場所に出ます。

 

写真の正面の広い場所は戦車競技場、右側には競技場の観覧席、宮殿、ローマ式浴室など、左側の手前の方にも宮殿、奥の方は港跡などが広がっています。

 

ここからなだらかな坂を下っていくと、1つの石碑があります。

 

この石碑は劇場の発掘をしていた時に、壁の一部として使われていた石の中から発見されました。

文字が欠けてしまっているので、わかりにくいですが、

 

〔CAESARIEN〕S(IBUS) 

TIBERIEVM 

〔P0N〕TlVS PILATVS 

〔RRAEF〕ECTVS IVDA (EA〕E 

 

ケサレアの市民に 

ティベリエウムを 

ポンティウス・ピラトゥス 

ユダヤの長官

 

と彫られています。

イエス様に磔刑の判決を下した、ローマ総督のポンテオ・ピラトです。

 

ピラトは紀元26〜36年に総督だったとされていますが、碑銘として残っているのはこの石碑のみであり、ユダヤに駐在していたことの証拠として、非常に貴重なものです。

 

こんな大事な石碑が野晒しになっているなんてと思ってしまいますが、安心してください。レプリカです。

本物はイスラエル博物館に保管されています。

 

この石碑から海の方に行くと、岬に突き出た宮殿の跡(地図の②)が残っています。

海の真横にありますが、プールまで備えていた立派な宮殿でした。

この宮殿は、だれが使っていたのでしょう?

ヘロデ王だったのか、ローマ総督とローマ軍は通常エルサレムではなく、カイザリヤに駐屯していましたので、ローマっだたのか?いろいろと想像を掻き立てられます。

 

 

 

岬にある宮殿から少し戻ってくると、こんな案内板があります。

使徒言行録25:6~12ではパウロが法廷に引き出され、弁明をしたことが記されていますが、このあたりでパウロがアピールしたのでしょう。

パウロは言った、「わたしは今、カイザルの法廷に立っています。わたしはこの法廷で裁判されるべきです。よくご承知のとおり、わたしはユダヤ人たちに、何も悪いことをしてはいません。もしわたしが悪いことをし、死に当るようなことをしているのなら、死を免れようとはしません。しかし、もし彼らの訴えることに、なんの根拠もないとすれば、だれもわたしを彼らに引き渡す権利はありません。わたしはカイザルに上訴します」。(使徒言行録25:10~11)

 

ちょっと高台にある宮殿や案内板のあったところから下に降りると、非常に広い広場に出ます。

広場に入るところに、こんなところがあります。

 

 

なんだと思いますか?

実はこれ、トイレです。しかも水洗トイレなのです。

突き出た石と石の間に座り、用を足します。

下には水路があり排泄物は流れる水によって運ばれていきます。

また、足元にも水路があり、手を洗うことができる2千年前の水洗トイレです。

ちなみに個室にはなっていなかったので、隣り合った方とおしゃべりしながら用を足したとか・・・

 

用を足し終わったら、その向こう側には大変広くなった場所に出ます。

ここは戦車競技場(地図の③)でした。

もちろんローマ時代の戦車ですので、馬に車を引かせる戦車でした。

2頭立て、4頭立ての戦車があったそうです。

映画「ベンハー」をご覧になったことがある方は、お分かりになるかと思います。この競技場を戦車でぐるぐる周回して速さを競いました。

 

そして今では、綱引き会場になっています(冗談です)。

 

近くの学生でしょうか?

かなり盛り上がっていました。

 

この戦車競技場には観覧席があり、戦車競技や綱引きを観覧することができました。

観覧席の後ろには宮殿、サウナなどが発掘(地図の⑤)されています。

 

カイザリヤの宮殿は、ローマ総督・軍だけでなくヘロデ王も使っていました。

聖書を読むとヘロデ王が何度も出てきます。

イエス様の時代のヘロデ王は、ヘロデ「大王」とよばれた王様でこのカイザリヤを作った王様。

ヘロデ大王の子供のヘロデ・アンティパス王(ガリラヤ地方を納めていた領主)。

ユダヤの領主だったヘロデ・アグリッパ1世。

アグリッパ一世の子供のヘロデ・アグリッパ2世。

 

アグリッパ一世は、使徒言行録12:19~23でヘロデはペテロを捜しても見つからないので、番兵たちを取り調べたうえ、彼らを死刑に処するように命じ、そして、ユダヤからカイザリヤにくだって行って、そこに滞在した。
さて、ツロとシドンとの人々は、ヘロデの怒りに触れていたので、一同うちそろって王をおとずれ、王の侍従官ブラストに取りいって、和解かたを依頼した。彼らの地方が、王の国から食糧を得ていたからである。定められた日に、ヘロデは王服をまとって王座にすわり、彼らにむかって演説をした。集まった人々は、「これは神の声だ、人間の声ではない」と叫びつづけた。するとたちまち、主の使が彼を打った。神に栄光を帰することをしなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えてしまった。

とあるように、このカイザリヤで虫にかまれて死んでしまいました。

 

アグリッパ2世は、パウロがカイザリヤにとらえられているときに、当時のユダヤ総督だったフェストに会いに来た領主です(使徒言行録25:13~)。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           

 

近年になり、近くに牢獄跡も発見されました。

カイザリヤで牢獄といえば、パウロがエルサレムで捕えられてローマに行くまでの期間、カイザリヤで過ごしました。

この牢獄で過ごしたのかもしれません。

 

今でも発掘の続いているカイザリヤ、次は何が発見されるのか楽しみなところです。

 

もう少し続けたいところですが、カイザリヤの案内は第3弾に続きます。

次回は港跡、レストラン、十字軍時代の遺構をご案内する予定です。