今回はガテ(新共同訳/共同訳ではガト)の遺跡について、ご案内いたします。

ガテというと、旧約聖書の中でダビデと戦った戦士ゴリアテの出身地であり、ダビデがサウル王に追われて、逃れた町であることをご記憶の方もいるでしょうか。

 

ガテは、ヘブライ語の גַּת‎からGathまたはGatと転写されますが、意味するところは「ぶどう絞り」の意味です。町の名前になるくらいなので、周囲でたくさんぶどうが採れて、ワインもたくさん作られていたのでしょうね。

 

日本にも「福」がつく町の名前がいたるところにあるのと、何となく似ているように思います。豊穣であることは祝福ですから、「ぶどう絞り」が町の名前になっても不思議はないんですが、一般的な意味だったためかイスラエルにはガテという名前がつけられた場所がたくさんあって、聖書にも何箇所か出てくるので少々ややこしくなってしまいます。

今回のお話は“ ペリシテ人のガテ”のことですが、それ以外にも、ガテ・リンモン、モレシテ・ガテ、ギッタイム(複数形)などの名前が聖書の中に出てきます。そのため、ペリシテ人のガテがどの遺跡のことを指すのか、昔から学者間で多くの論戦が交わされてきました。

 

現在では、下記の地図にもあるTell es-Safiで落ち着いているようです。

 

 

ガテは、サウル王の時代からダビデ・ソロモン王の時代にかけて、ペリシテ人の5つの都市(アシュドド、アシュケロン、エクロン、ガザ、ガト)の一つとして、繁栄を誇りました。その中でも最も有力な町だったと思われます。

 

(ガテの遺跡の入口)

 

さて、有名な少年ダビデと戦士ゴリアテの戦いですが、

 

 ペリシテ軍は一方の山に、イスラエル軍は谷を挟んでもう一方の山に陣取った。 ペリシテの陣地から一人の戦士が進み出た。その名をゴリアトといい、ガト出身で、背丈は六アンマ半、 頭に青銅の兜をかぶり、身には青銅五千シェケルの重さのあるうろことじの鎧を着、 足には青銅のすね当てを着け、肩に青銅の投げ槍を背負っていた。               (サムエル記上17章3-6)

 

とあり、ガテ出身の戦士だったと記されています。この中に出てくる「アンマ」は、腕を曲げたときの肘から指先までの長さのことで44-45cmとされます。ということは、身長は2m90cmほど。文字通りの巨人です。

 

 

ダビデはベツレヘムの出身、ゴリアテとの戦いはエラの谷でしたが、上の地図でいうと、ガテ(Tell es-Safi)とベツレヘムを結ぶ線の中間あたりになります。この付近は丘と平地が入り組んだ場所で、山側(ベツレヘム)を治めるイスラエルと、平地側(海側)を治めるペリシテ人の接点になっていた場所でした。現地に立って
みると、ここが戦いの場になったことも理解できます。

 

(エラの谷)

 

Tell es-Safiは今までに何度か発掘されていますが、2005年の発掘で面白いものが見つかりました。ダビデ・ソロモンのほぼ同じ時代の地層から、カナン文字で 2 人の非ユダヤ人の名前が記された土器片が発見されました。 そこには「ALWT」と「WLT」という名が記され、語源的にゴリアテ (GLYT) の名前によく似たものだと言われています。

 

 

この陶器片は、ゴリアテが存在したことの直接の証拠ではありませんが、ゴリアテに似た名前が、同時代にペリシテ人の土地で使用されていたことを示しているので、考古学界では当時ちょっとした話題になりました。

 

ダビデはゴリアテを倒したのちサウル王に重用されますが、戦いでは連戦連勝、王よりも人気が出てきて逆に恨みを買うようになり、とうとう王の元を逃げ出さないといけない状況になりました。

 

ダビデは立ってその日のうちにサウルから逃れ、ガトの王アキシュのもとに来た。 アキシュの家臣は言った。「この男はかの地の王、ダビデではありませんか。この男についてみんなが踊りながら、『サウルは千を討ち、ダビデは万を討った』と歌ったのです。」

ダビデはこの言葉が心にかかり、ガトの王アキシュを大変恐れた。 そこで彼は、人々の前で変わったふるまいをした。彼らに捕らえられると、気が狂ったのだと見せかけ、ひげによだれを垂らしたり、城門の扉をかきむしったりした。

 (サムエル記上21章11-14)

 

ダビデはサウル王から逃れるために、何と敵であるペリシテ人のガテの王・アキシュのもとへ行ったと言うのです。すぐにバレてしまったダビデは、とっさに狂人のまねをし始めました。機転をきかせた行動で、何とかそこを逃れることができましたが、その際に読んだのが、詩編34編と言われています。

 

1【ダビデの詩。ダビデがアビメレクの前で狂気の人を装い、追放されたときに。】

2どのようなときも、わたしは主をたたえ

  わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。

 

8主の使いはその周りに陣を敷き

  主を畏れる人を守り助けてくださった。

9味わい、見よ、主の恵み深さを。

  いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。

 

サウルから追われ、敵の王からも目を付けられた絶体絶命の中、この様な賛美を歌うことのできるダビデは、偉大な信仰の人と言わざるを得ません。

 

 

上の写真で遠くの方に低い山々が連なって見えています。遺跡の頂から東の方を向いて撮った景色ですが、ダビデの出身地ベツレヘムの方角になります。ダビデはガテから逃れる際に東の方角へ進み、このような景色の中をやっとの思いで、でも心では詩編に読まれたような感謝と賛美を持ちながら、歩いていたのでしょうか。

 


その後、彼はユダの荒野に身を隠します。

 

(山頂に立つ方角を示す柱:「ガザ」と「アシュケロン」)

 

ガテの遺跡は、発掘現場とわずかの標識が置かれているだけの丘ではありますが、ダビデの生涯で重要なターニングポイントとなった場所として、一度は行ってみたいところです。