今回はローマ時代の港町、カイザリヤをご案内していきたいと思います。

テルアビブから北に60kmほどのところに位置しています。

 


この場所には紀元前4世紀に建てられたフェニキアに属する要塞都市がありましたが、紀元前1世紀にローマの初代皇帝アウグストスがヘロデ大王に与え、ヘロデはエジプトの大理石をふんだんに使いローマ風の美しい町にしました。

そして完成した町にアウグストス皇帝を記念し、カイザリヤと命名しました。

 

カイザリヤから南に60kmほどのヨッパ(ヤッフォ)、北に15kmほどのところにあるドールの間に港は一つもありませんでしたので、ヘロデはこの町に大きな船も着岸できる港を建設したと、ヨセフス・フラビウスがユダヤ戦記やユダヤ古代史に書き残しています。

 

歴史的にはいくつかのポイントがあります。

・紀元前22~10年 ヘロデのカイザリヤ建設

・34~63年(諸説あり) 使徒言行録の舞台

・66年 カイザリヤのユダヤ人と異邦人の間の騒乱が元で第一次ユダヤ・ローマ戦争が始まる

・131~135年 第二次ユダヤ・ローマ戦争で、ラビ・アキバその他のユダヤ人指導者が殉教する

・3~4世紀 キリスト教の神学校ができてキリスト教の一大センターとなる。

 初代教会史をつづったエウセビウスや、ヘブライ語で書かれた旧約聖書をウルガダ訳聖書に翻訳したヒエロニムスなどもここで学んだ。

・640年 アラブ人による占領で神学校など破壊される

・1112年 十字軍によりイスラム教徒からカイザリヤの奪回

・1251年 十字軍による要塞化

・1265年 再びイスラム教の支配下になり、ほとんど破壊されてしまう

 

カイザリヤは旧約聖書、新約聖書の福音書には登場しません。

使徒言行録にのみ登場します。

イエス・キリストはここには来なかったのでしょうか?

この時代、ローマ軍の駐屯地があり、ローマ総督もここの宮殿に滞在していましたので、異邦人の土地という扱いだったためか、ここには来なかったのでしょう。

 

 

とても広い遺跡で発掘がずっと続いています。

私がイスラエルに留学して初めて訪れた1995年の時点で発掘中で、今も発掘が続いています。

実際に発掘が始まったのは、なんと1959年からですので、65年も発掘し続けています!

発掘・復元によりいろいろな時代のものを見て回ることができます。

 

上記の案内図では、⑯⑰で矢印によってもっと左(北)に行ったところと表示されていますが、導水橋があります。

なぜか、上方向(東)にも矢印が向いていますが、これは、導水橋に向かう道の方向を示しているのでしょうね。

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高レベルの導水橋

 

人間が生活するには、水は必要不可欠ですが、じつはこのカイザリヤには、年に供給できるような大きい水源がありません。

この水を得るために、カイザリヤの北9kmのところにある水源から飲料水用の水をひいていた高レベルの導水橋と、同じく5kmほどのところから灌漑用水の水をひいていた低レベル導水橋の2本が作られました。

 

当時は遺跡まで続いていた導水橋も、地中海の波にさらされ壊れてしまいました。

 

2千年も前にそれほどの距離から水をひく技術を持っていたのがヘロデ大王でした。

聖書を読むと残虐な王様だったことしか伝わってきませんが、イスラエルの各地でヘロデが建築したものを見るとその技術力に驚かされます。

 

カイザリヤの遺跡の出入り口は2つあります。

上の案内図の①の劇場近くと⑮ちかくの2つです。

 

ツアーでは①の劇場からまわることが多いので、こちらからご案内していきましょう。

入り口を入り、劇場の前に行くと石像が並べられています。

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誰の足でしょうね?

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羊を肩に担いでいる像

99匹と1匹の羊の話を思い起こします。

 

劇場に入るとこんな感じで前が開けます。

 

カイザリヤの劇場は観客席から見て舞台の向こうには、地中海が広がっています。

海からの風によって、音響効果も高くよく聞こえたそうです。

また夕方に劇のクライマックスを持ってくると、「地中海に沈んでいく夕陽」という自然の舞台装置が劇を盛り上げてくれるのです。

 

この劇場の建設もヘロデ大王がかかわっています。

劇場の大きさは直径が約170m、高さは30mもあり、収容人数は約4千名でした。

舞台下のオーケストラやロイヤルボックスも備えた劇場で、イスラエルで見つかっている劇場としては最古の劇場です。

 

最古の劇場ですが、しっかり修復もされていて今でもコンサートなどで使われます。

コンサートが行われるときは、オーケストラに座席が並べられ、現在の舞台装置が組み立てられ野外ステージになります。

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2006年にはオーケストラの場所に土が盛られ、土俵を作りました。

佐渡ケ嶽部屋の力士が巡業でイスラエルを訪れ、相撲を取りました。

とてもイスラエルでは盛り上がり、相撲の取り組みだけでなく、エルサレムを訪れたり、死海で力士が浮遊体験をしたことなど、ニュースにも取り上げられました。

 

YouTubeでこんなチャンネルを見つけました。

冒頭に一瞬、カイザリヤの遺跡が見えて、動画をよ~く見ていると、ヘブライ語があちこちで見られます。

あぁ~イスラエルなんだなってわかる動画です。

 

ちなみにこの土俵を作るのに、土がなかなか固まらずかなり苦労したんだそうです。

 

 

カイザリア第1弾はこの辺で終わります。

第2弾もお楽しみに。