今回は聖書の中で「ヤッファ」と呼ばれている「ヤッフォ」をご案内いたします。
古くからの港町で、紀元前18世紀の遺跡が発見されています。
お隣の国エジプトでは、トトメスⅢ世の遠征記録(紀元前15世紀)にもヤッフォの名が残されています。
イスラエル建国後の1949年にテルアビブ市と合併し、テルアビブ-ヤッフォ市とされました。
テルアビブ市ができたのは、1909年のことですが、ヤッフォは4千年近く前から存在していました。
ヘブライ語ではיפו(Yaffo)と表記され「美しい」を表すיפה(ヤッフェー)が語源だとされています。
英語ではJAFFAと呼ばれていますが、JAFFA ORANGEと商品名につけられたオレンジがあります。
この町から輸出されたところから、名前が付けられたそうです。
こんなシールの張られたオレンジを召し上がったことのある方や、見かけたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか?
旧約聖書の歴代誌下2:16には、エルサレムの神殿を建てるためにレバノン杉をヤッファを経由して輸入したことが記されています。
また、ヨナ書でヨナが神様に言われてニネべの町に神の言葉を伝えるために船出(ヨナはニネべに行くのが嫌でタルシシ行の船に乗りましたが)した港がここヤッファでした。
旧市街の入り口には、ヨナを飲み込んだとされる大きな魚の小さなモニュメントがあります。
クジラがほほ笑んでいるようで、ちょっとかわいいですね。
新約聖書では、福音書の中では登場しませんが、使徒言行録10章でペトロが皮なめし職人シモンの家の客になっていると書かれています。
さて、カイサリアにコルネリウスという人がいた。「イタリア隊」と呼ばれる部隊の百人隊長で、 信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。 ある日の午後三時ごろ、コルネリウスは、神の天使が入って来て「コルネリウス」と呼びかけるのを、幻ではっきりと見た。 彼は天使を見つめていたが、怖くなって、「主よ、何でしょうか」と言った。すると、天使は言った。「あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられた。 今、ヤッファへ人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。 その人は、皮なめし職人シモンという人の客になっている。シモンの家は海岸にある。」 天使がこう話して立ち去ると、コルネリウスは二人の召し使いと、側近の部下で信仰心のあつい一人の兵士とを呼び、 すべてのことを話してヤッファに送った。(使徒言行録10:1~8)
ここの屋上でペトロが祈っていたところ、空腹を覚えると天から布のような入れ物があらわれ、地上に降りてきた。
その中にはユダヤ人が食べてはいけないとされている「清くない食べ物」が入っていましたが、天からの声でこれらを「食べろ」と言われました。
ペトロは食べることを固辞しますが「神がきよめたものをきよくないと言ってはならない」と言われ、3度もこのようなやり取りがあったと使徒言行録の10章には記されています。
これらのことは、異邦人への伝道を示していると言われます。
現在もヤッフォの旧市街に行くと「皮なめしシモンの家」と呼ばれる家があります。
個人のお宅なので今はドアの前に鉄柵がおいてあり、中には入れませんが、20年くらい前は入ることができました。
中には階段があり、屋上に上がることができました。
ユダヤ人が食べてはいけない食べ物とは、カシェル(コーシャ)と言われる食事規定のことです。
大きくは、
・四つ足の動物で蹄がわかれていない動物、反芻しない動物は食べてはならない。
・肉製品と乳製品を一緒に食べてはならない。
・海のものでうろこのないものは食べてはならない。
があげられます。
ここヤッフォは海沿いの町ですので、天から下りてきた布の中には、えび、いか、貝などのシーフードが入っていたのではないかなと考えてしまいます。
港町ヤッフォのレストランでは、おいしいシーフードを食べさせてくれるレストランがあります。
ちなみに私のお気に入りは「老人と海」と名付けられたレストランです。
ヘミングウェイを思いながら行くと、全然そんな文学的な雰囲気はなく、食事をワイワイしながら食べる大衆食堂です。
ヤッフォの旧市街の丘の上からは、地中海沿いにテルアビブの町が見えます。
とても美しい眺めです。
このヤッフォの町というのは、いつ行っても絵になる街なのですが、夕日の時間帯がとても素敵です。
町の名前の通り「美しい」を望むことができるヤッフォ、ぜひここに夕方、立ち寄りたいですね