今回は、キリシタンの島「生月島(いきつきしま)」をご紹介したいと思います。

 

知る人ぞ知る「生月島」ですが、以前、「え? 壱岐? 対馬?」と聞かれたことがありました(笑)

 

生月島は、江戸時代初期に、島民のほとんどが、洗礼を受けてキリシタンになりました。

禁教令により迫害がひどくなったときに、多くの方が潜伏キリシタンになり、今でも隠れキリシタンの信仰形態を守って生きている方々がおられます。

 

平戸市は平戸島という島にありますが、その平戸島から生月大橋を渡った市の北西部に位置する島で、住所は平戸市

 

この生月大橋は、2010年に通行料が無料となりましたが、それまでは、有料道路で大型バスだと700円が必要な橋でした。

ちなみに同じ2010年までは、平戸島に渡る平戸大橋も有料道路で300円が必要でした。

今は嬉しいことに、両方の橋の通行料が無料です。

 

 

生月大橋を渡ってすぐのところにあるのが、2月5日のブログ「隠れキリシタン? 潜伏キリシタン?」でもご紹介した「島の館」です。

 

弊社の「長崎・五島・平戸キリシタンの旅」の旅では、生月島の中の

・島の館

・千人塚

・黒瀬の辻(ガスパル様)

・幸四郎の森(サンパブロ―様)

を訪ねますが、今回は、島の館以外についてご紹介します。

 

 
まず、千人塚をご紹介します。

 

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幕府は島原の乱(1687~1638年)の後、キリシタンの撲滅に力を注ぎました。

1645年(正保2年)に平戸藩も、藩内のキリシタンの取り締まりを強化し、生月の多くの信徒を捕らえて、近くの白浜で処刑しました。

信徒の血で白浜は赤く染まったそうで、正保の弾圧と呼ばれています。

 

その時に処刑されたキリシタンを埋葬した場所を「千人塚」と呼び、処刑された方たちを弔ってきました。

遺体を埋葬した場所には大きな松の木が生えて聖木とされていました。

この松の木を「千人松」と呼んでいましたが、すでに朽ちてしまいました。

今は千人松が生えていたところに、あらたに松の木が植えられています。

 

今でも千人塚を訪れますと、いつも掃き清められていて、島の方々にとても大事されていることを感じます。

 

千人塚の後は、黒瀬の辻に向かいます。

黒瀬は十字架のクロスに由来している場所で、現在でも大きな十字架があります。

 

 

慶長14年(1609)、信仰を指導していた西玄可(にしげんか:洗礼名ガスパル)も捕らえられ、黒瀬の辻で処刑されて、埋葬されました。

生月島での最初の殉教者となりました。
また妻のウルスラや息子のジョアンも、連行される途中で斬り殺されました。


黒瀬の辻には、ガスパル様の松と呼ばれる大きな松の木がありましたが、今は朽ちてしまっています。松の根の部分だけが今も残っていて、その根元のところに石を重ねておいているところが、お墓になります。

ガスパル様と呼ばれた西玄可の埋葬された場所に、1991年にカトリック信徒によって十字架型の「黒瀬の辻殉教碑」が建てられました。

 

カトリック教会では、徳のある行為あるいは殉教によりその生涯が聖性に特徴づけられたものであったことを証して「福者」という敬称がつけられます。

2008年にガスパル様は188人の福者の一人として、列せられました。

 

長崎・五島・平戸キリシタンの旅のツアーを始めたころは、この黒瀬の辻の近くまでは、バスでは入れず、ちょっと離れた道路でバスを降りて歩いて向かいましたが、世界遺産登録に向けた動きの中で、周辺が整備されて、バスも入れるようになり、大きな駐車場もできて、訪れやすくなりました。

 

生月島の最後は、幸四郎の森(サンパブロー様)を訪れます。

 

森と呼ばれるだけあって、大きな木々が生えていました。

 

この幸四郎の森も世界遺産登録に向けた整備で看板が劇的に変化したところです。

 

2015年11月に訪れた時の看板はこんな感じでした。

 

これが、2017年6月に訪れた時は、看板が変わっていました。

 

こちらは、2016年9月の時の写真です。

この案内版は、下に落ちてしまっていて、草に埋もれるような状態でした。

字もかすれて読みにくかったです。

 

こちらも2017年に行くとこんな立派な案内板になっていました。

 

世界遺産登録、すごい!と思った瞬間でした。

 

さて、幸四郎の森とは、どんなところかというと、サンパブロ―と呼ばれた幸四郎様を祀った場所です。

ツアー中、ここで幸四郎様のことを説明します。

この方は、もともと、この生月島のキリシタンを取り締まるためにやってきた役人でした。この地区のキリシタンを捕らえに来た時、この場所で突然目が見えなくなってしまいました。

この時、取り締まられる側だったキリシタンの人たちは、この幸四郎様を手厚く看病しました。そのかいあって、幸四郎様の目は再び見えるようになり、このことがきっかけで、幸四郎様は自らもキリシタンとなり、この地区の信徒のリーダー的な存在となったそうです。

このように説明していると、皆様の中には「ん?聖書で似たような話があるな」と気が付く方がおられます。

パウロと同じようなお話ですね。そのため、この幸四郎様は聖パウロを意味する「サンパブロ」と呼ばれるようになりました。

 

この森の中に入っていくと、祠のようなものがありました。

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ここで幸四郎様を祀っていました。

 

この森の中は神聖なところで、森に入るときは履き物を脱いで入らなければならず、木々などここから持ち出すこともしてはいけないとされています。

 

他にもこの生月島では訪れたいところがあるのですが、時間の関係でなかなかご案内することができません。

いずれ、新しいコースを考える時には、訪れたいところを入れたツアーにしたいなと思っています。その際には、ぜひ、新コースへご参加くだされば嬉しい次第です。

オリジナルコースの「長崎・五島・平戸キリシタンの旅」にまだご参加いただいていない方は、ぜひ、ご一緒しませんか!