今回は死海南端付近にあったとされる、ソドムについてご案内します。

 

ソドムは、創世記10章でゴモラ、アデマ、ゼポイムなどと一緒に、カナンの地の南の方を形作る町と一緒に列記されてます。

 

しかし何と言ってもよく知られているのは、創世記18~19章の物語でしょう。18章では神様がソドムとゴモラの罪の大きさゆえに、その町々を滅ぼそう、と言われるのですが、アブラハムは、

 

まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。 あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。 正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」(18章23-25節)

と訴えて、何とかこの町が滅びることから救いたいと願いました。

 

そして神様からは、

もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」(18章26節)

との回答を得ます。

その後正しい人の人数は少しずつ下がり、最後は10人にまで減ります。最終的にソドム・ゴモラは滅ぼされてしまいますので、10人の正しい人さえいなかった、ということなのでしょう。

 

話は少し飛びますが、この10人という数はユダヤ教では大切な数で、13歳で成人式を経た男性10人(ヘブライ語で「ミニヤン」と言います)が集まらないと、シナゴーグでトーラー(モーセ5書)を開いておこなう正式な礼拝ができないのです。

私がイスラエルに留学していた時、町を歩いていると「ミニヤンが足りないんだけど」と時々呼び止められることがありました。外見からするとユダヤ人には見えないと思うのですが、「ユダヤ人じゃないから」と告げて丁重にお断りしていりました。足りないならそれでもいいか、とはいかないユダヤ教の厳格な一面と何とか10人を集めないと、という必死さを感じた懐かしい思い出です。

 

話を戻すと、二人の御使いが夕方ソドムに着いて、門に座っていたロトが彼らを家に迎え入れたところから、町の中が騒然とします。最終的にロト一家はソドムの町が滅ぼされる前に逃げて助かります。

 

「主はソドムとゴモラの上に天から、主のもとから硫黄の火を降らせ、 これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした。 ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった。」(創世記19章24~26節)

小学生のころ初めてこの物語を読んだとき、「えー、どうやったら人が塩の柱になるんだろう?」と不思議に思ったことを思い出します。

 

余談ですが、皆さんの中には宮崎駿監督の「天空の城ラピュタ」をご覧になった方も多いと思います。その中でムスカというラピュタを奪い取ろうとする人物が、「ソドムに降った火はこのラピュタがもたらしたもの」という意味のことを語る部分があります。初めてこの映画を見たとき「え?そんな箇所あったっけ?」と改めて聖書を開いたことがありました。確かに前出の聖句のように“硫黄の火を降らせ”という句があり、妙に納得しました。

 

とにかく死海沿岸、特にソドムと呼ばれる死海南端の一体は、今でも「塩」がいっぱいです。はるか古代において死海は地中海とつながった海の一部でしたが、その後地殻変動で地中海と切り離されます。温暖な気候のため蒸発が活発で、次第に海面が下がりました。今では海抜下約400mまで下がり、塩分濃度が上がったのに加え、周辺の土壌から流れ込んでくる塩分を含んだ川のせいで塩分濃度は更に上がり、現在は飽和点一杯の約30~33%と言われます。

 

(写真真ん中の盛り上がった丘がソドム山)

 

塩だらけの死海周辺で特に特徴的なのは、“ソドム山”と呼ばれる死海南端西岸に横たわる、南北約10kmの丘陵で、全て塩でできていています。長年死海に溜まった塩の堆積物が、上からさらに積み重なった土砂や堆積物に押し出されるようにして、地下から噴き出してきたものだそうです。

ここの地名は、アラビア語で「ジェベル・ウスドゥム」(ソドムの山)と呼ばれていて、ソドムの古い伝説を伝えているようです。

 

塩ですから水に溶けやすく、浸食されてできた洞窟や縦に深く切れ込んだ煙突状の空間があちこちにあります。また、山肌のいたるところに、下の写真のように塩が露出して、雨に鋭く削られた跡が至るところにあります。

 

(塩が露出した山肌)

 

読者の皆さんの中にも、行ったことがある方が多いのではと思いますが、このソドム山の一角、死海沿いの道から見上げることができるところに「ロトの妻の塩柱」と呼ばれる柱があります。

第一印象として「え、あんなに大きいんですか?」というお声が多いですが、たぶん10m以上あるのではないかと思います。壺を肩に担いでいる格好と言われますが、随分と体格の良い女性です。

 

(ロトの妻の塩柱)

 

現地で観光バスの運転手さんに「ロトの妻の塩柱に行って」と言うと、時々「オレが知っているロトの妻に連れて行こうか?もっとかわいいぞ」などと冗談っぽくいう人がいます。「言われてみると、そう見えるかな」というような塩柱が何箇所もあるのです。

 

旅行中「ロトの妻の塩柱」に行くのは、もう一つの目的があります。

この塩柱付近は山の斜面が良く削れていて、小さな岩(塩の塊)を割ると純粋な岩塩の結晶が現れる事がります。向こう側が透けて見えるほどで、お金がかからない、珍しいお土産として日本へ持ち帰る方も多いです。

 

(ソドム山で採った塩の結晶)

 

話は少し飛びますが、イスラエルの旅行を終えてテルアビブの空港から飛び立つ前には、いわゆる厳格なセキュリティチェックがあり、以前は殆どの方がスーツケースを開けられてチェックされていました。(今はもっとスマートな検査方法になっています)

その時、検査官がしばしば「日本人は何で石が好きなんだ?」とつぶやきながら調べているのです。私も横に立って通訳しながら見ていると、シナイ山で遊牧民の少年から買った黒っぽい石、ガリラヤ湖の湖畔で拾った黒い小石、柔らかな白のエルサレムストーン、そして死海で拾った塩の結晶、、、、確かになーと妙に納得しながら通訳していた記憶があります。

 

このソドム山の少し北には、エンボケクと呼ばれるホテル街があります。死海で宿泊の場合は、ほとんどがここに泊まることになりますが、死海浮遊体験を楽しんだ後は、少し足を延ばして、ソドム山をご覧になってはいかがでしょう。

 

(エンボケクのホテルとビーチ)