3月に中浦ジュリアンを紹介しましたが、今回はド・ロ神父についてご紹介します。

 

旧出津救助院HPより

 

イケメン神父様ですね。

私が初めてド・ロ神父のことを知った時は、スーパー神父様だ!と、衝撃が走りました。

 

長崎県西彼杵郡外海地方(現長崎市)出津(しつ)を中心に宣教したド・ロ神父(1840~1914)は、リンゴのブランデーで有名な、フランスはカルヴァドス県ヴォスロール村の貴族の出身でノルマンディ貴族、ロ(ロッツ)家の次男として生まれました。

フランス革命や7月革命など混乱の時代が続き、どんな状況の中でもたくましく生きていけるようにド・ロ神父の父は、子どもたちに様々な仕事を覚えさせます。

 

神学校を経て司祭となり、パリ外国人宣教会から送り出され、明治政府の樹立する直前の1868年6月7日に、28歳で日本にやってきました。

 

フランス人のプチジャン神父の来日後、大浦天主堂で、1865年に感動の「信徒発見」が起きます。しかし、その後、信徒がたくさん捕らえられ、各地へ流される「浦上4番崩れ」が起きます。

 

この浦上の信徒を救出するべく、プチジャン神父は奔走します。ローマ教皇庁に助力を求め、フランスに一度戻り、キリシタン弾圧下の日本で共に働く神父を求めました。

この呼びかけに応じたのが、ド・ロ神父でした。

 

来日にあたり、ド・ロ神父の両親は日本宣教に行くわが子にと、多額のお金を渡します。

その額24万フランと言われます。1830年代を背景とした「レ・ミゼラブル」によると、青年マリウスの1年間の生活費は700フランとありますので、仮に1,000フラン毎年使ったとしても240年も、生活できる額を持って来日されました。

 

ド・ロ神父は宣教師として、長崎県西彼杵郡外海地方(現長崎市)で、来日直前に身に付けた印刷技術や、父から仕込まれた土木、建築、医療、薬学、農業、養蚕、服飾などの技術を、外海の人たちに伝え、必要な機器、機械を私財を投じて海外からも取り寄せました。

 

外海の人々は貧しく、多くは漁業で生計を立てていました。嵐などでご主人を亡くされた女性のために授産所やイワシ網工場、製粉所を設け、村人のために出津教会、大野教会、孤児院、私学校、防波堤、診療所などを次々と建設しました。

 

イワシ網工場だった建物が、現在は、ド・ロ神父記念館として使われています。

この記念館内の産業コーナーにはソーメン・マカロニ製造用具があります。
ド・ロ神父は、外海の主要な農産物の小麦を利用して、ソーメンを作り出そうとしましたが、日本の小麦では思うようにいかず、フランスの小麦を取り寄せて、落花生の油を引き油として用い、腰が強く風味の良いソーメンや、パスタを作りだしました。

それぞれ、ド・ロさまソーメン、ド・ロさまパスタと呼ばれ、今もお土産で購入することが可能です。テマサトラベルのツアーでは、この「ド・ロさまソーメン」を昼食に用意しています。長崎の近海で獲れたてのお魚と一緒にお楽しみいただけます。

 

ド・ロ神父記念館の向かいには、旧出津救助院があります。

旧出津救助院HPより

 

建物の2階に上がると、ド・ロ神父がフランスから取り寄せた当時のオルガンがあり、管理されているシスターが賛美歌を弾いてくださるので、一緒に賛美することができます。

このオルガン、すでに百数十年以上経っていて、傷みも多くなってきているため、今までに何度か修理されています。

 

1994年に無償で1か月間泊まり込んで、このオルガンを修理された方がいらっしゃるのですが、1998年の弊社のツアーに奥様が参加され、このオルガンと出会い、シスターの方が改めて感謝されるという、感動的な一幕がありました。

こんな人のつながりは素晴らしいですね。

 

ド・ロ神父は、71歳の時に病気され、長崎の大浦天主堂に移られましたが、元気になり、数年間を長崎で過ごされました。大浦天主堂・司教館の改装工事に参加された時、足場から転落し、翌日に亡くなられました。

 

プチジャン神父の呼びかけに応じて、来日されたド・ロ神父ですが、74歳で亡くなるまで一度も古郷フランスには帰られませんでした。

 

遺言によりその亡骸は、生涯をささげてきた外海に葬られました。

 

カトリックではローマ教皇を選挙(コンクラーヴェ)で選びますが、教皇の選挙権、被選挙権の両方とも枢機卿と呼ばれる方々のみにあります。

現在までに6名の日本人枢機卿がおられましたが、田口枢機卿(1902~1978)、里脇枢機卿(1904~1996)のお2人がここ外海の出身です。

枢機卿以外にも、献身して司祭やシスターになった方もたくさんおられます。

ド・ロ神父の感化なしには考えられないでしょう。

 

宣教しておられたときも、亡くなった後にまで大きな影響を与え続ける、まさにスーパー神父様です。

 

旧出津救助院HPより