昨日の記事で、仕事で無理をしすぎ、妻のケアで心休まらず、ついにうつ病になってしまったところまでお話しました。
うつ病と診断されましたが、その後も処方された薬を飲みながら仕事を続けました。
その頃には妻の体調も少しずつ安定してきていたので、仕事に集中していけば大丈夫だろうと判断しました。
(いま思えば、ここで管理職に相談すべきだったのかもしれませんが・・・。)
心身共に疲れ果てながらも、何とか担任1年目を乗り切り、そのまま2学年の担任へと持ち上がりました。
4月。2学年から3学年へかけてのクラス替え、担任の変更はありませんので、このクラスを卒業まで支えていくんだと強く決意したのを覚えています。1学年のとき同様、授業にも力を注ぎましたし、生徒1人1人を大切にしていきました。特にクラス替えによる人間関係のトラブルも発生しますので、こまめに生徒と面談したり、保護者と連絡を取り合ったりしました。
2学年最大のイベントは修学旅行です。初めての経験ですし、うつ病のせいもあってかなり不安でしたが、何とか乗り切ることができました。
しかし、1学年のときと同様、このあたりからまた体調不良が続くようになりました。1週間ほど仕事を休んでしまった時もありました。それでも、クラス担任としての責任、そして生徒に対する想いが、僕を仕事に駆り立てました。言い過ぎかもしれませんが、「自分の体調など、二の次、三の次。生徒のためにならいくらでも自分を犠牲にしよう。」当時はそんな思いでした。
新年度、クラスをそのまま持ち上がるかたちで3学年の担任となりました。
ここまで一緒に過ごした生徒たちですから、この頃にはしっかりとした信頼関係も築けていて、進路へ向けて深い話などもしながら、1人1人に進路へ向けたアドバイスを送っていました。
しかし、他のクラスの担任の先生を見ていると、自分が取り残されているような気がしました。早い段階から調査書の作成を進める先生。一通り生徒との面談を終え、ほぼ全員の受験先を確定させた先生・・・。
進路情報(受験大学もそうですが、校内手続きのプロセスなど)について1から調べていかなければならない僕は、ただでさえ仕事に時間がかかります。それを集中力でカバーしていましたが、やはり周りを見るとどうしても焦ってしまいました。
そして、遂には、「自分がこのクラスの担任でなければ、生徒の力をもっと伸ばせるのではないか。もっと的確な進路アドバイスをできるのではないか。」と思うようになってしまいました。
「万が一でも出願書類に不備があって、生徒の受験に影響があってはならない」という強迫観念もさらに僕を追い詰めていきました。
ここから先の話は「①休職に入った時期の状況」に続きます。
掲載順が前後しておりますが、時系列に並べますと、②→③→①の順となります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
