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temaibu21(いぶき)

うつ闘病記。
みなさんに僕と同じような辛さを経験してほしくありません。
みなさんが笑顔で過ごせるよう、僕の経験を伝えていきます。

昨日の記事で、仕事で無理をしすぎ、妻のケアで心休まらず、ついにうつ病になってしまったところまでお話しました。

 

うつ病と診断されましたが、その後も処方された薬を飲みながら仕事を続けました。

その頃には妻の体調も少しずつ安定してきていたので、仕事に集中していけば大丈夫だろうと判断しました。

(いま思えば、ここで管理職に相談すべきだったのかもしれませんが・・・。)

 

心身共に疲れ果てながらも、何とか担任1年目を乗り切り、そのまま2学年の担任へと持ち上がりました。

 

4月。2学年から3学年へかけてのクラス替え、担任の変更はありませんので、このクラスを卒業まで支えていくんだと強く決意したのを覚えています。1学年のとき同様、授業にも力を注ぎましたし、生徒1人1人を大切にしていきました。特にクラス替えによる人間関係のトラブルも発生しますので、こまめに生徒と面談したり、保護者と連絡を取り合ったりしました。

 

2学年最大のイベントは修学旅行です。初めての経験ですし、うつ病のせいもあってかなり不安でしたが、何とか乗り切ることができました。

 

しかし、1学年のときと同様、このあたりからまた体調不良が続くようになりました。1週間ほど仕事を休んでしまった時もありました。それでも、クラス担任としての責任、そして生徒に対する想いが、僕を仕事に駆り立てました。言い過ぎかもしれませんが、「自分の体調など、二の次、三の次。生徒のためにならいくらでも自分を犠牲にしよう。」当時はそんな思いでした。

 

新年度、クラスをそのまま持ち上がるかたちで3学年の担任となりました。

ここまで一緒に過ごした生徒たちですから、この頃にはしっかりとした信頼関係も築けていて、進路へ向けて深い話などもしながら、1人1人に進路へ向けたアドバイスを送っていました。

しかし、他のクラスの担任の先生を見ていると、自分が取り残されているような気がしました。早い段階から調査書の作成を進める先生。一通り生徒との面談を終え、ほぼ全員の受験先を確定させた先生・・・。

進路情報(受験大学もそうですが、校内手続きのプロセスなど)について1から調べていかなければならない僕は、ただでさえ仕事に時間がかかります。それを集中力でカバーしていましたが、やはり周りを見るとどうしても焦ってしまいました。

 

そして、遂には、「自分がこのクラスの担任でなければ、生徒の力をもっと伸ばせるのではないか。もっと的確な進路アドバイスをできるのではないか。」と思うようになってしまいました。

「万が一でも出願書類に不備があって、生徒の受験に影響があってはならない」という強迫観念もさらに僕を追い詰めていきました。

 

ここから先の話は「①休職に入った時期の状況」に続きます。

掲載順が前後しておりますが、時系列に並べますと、②→③→①の順となります。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

僕は余程のことがなければ他人に対してマイナスの感情を抱くことがないタイプだと思っています。どちらかというと、他人を責める前に自分のせいにしてしまいます。

 

それでも、今回の妻の入院の件で、お義父さんとお義母さんの対応には疑問を抱きました。

僕の悪い癖は、何でも自分で抱え込んでしまうことなので、朝から申し訳ないと思いつつも、吐き出させてください。

 

昨日、妻が救急車で搬送されるのを自分の車で追いながら、お義父さんとお義母さんに電話をしました。(ハンズフリー通話です。)

当然、2人ともそれは心配した様子で、また状況が分かり次第、すぐに連絡をとのことでした。

 

妻の処置(検査)が終わり、そこまで重い症状ではないことが分かりましたが、経過観察のため数日間の入院が決まりました。

そのことをすぐお義父さんに連絡しました。そこまで重い症状ではないことを知って、ホッとした様子でした。

 

しかし、ここからです。

 

入院するには、「入院申込書」が必要で、そこには患者と支払者と「連帯保証人」のサインが必要です。

お義父さんと書きましたが、正確にはお父さん?僕は婿養子です。(以下、妻の両親をシンプルに父、母と表記します。)

自分の娘の入院ですし、戸籍上、僕の父に当たる方ですので、連帯保証人欄へのサインをお願いし、今日か明日、病院へ来てくださいとお願いしました。(車で1時間ちょっとの距離です。)

もちろん、連帯保証人の欄へのサインも必要でしたが、あることないこと想像して不安になっているでしょうから、娘の姿を見て安心してもらいたい気持ちもあり、病院へ来てくださいとお願いしました。妻も両親の顔を見ることで安心することでしょう。

しかし、父は少し考えてから、「そうだな。・・・いや、郵送でやり取りしよう。速達で送ってくれ。」と言いました。

 

たしかに、書類上はそのやり取りで十分です。

それでも、「自分の娘のことが心配でないのか?」と思ってしまいました。

繰り返しますが、車で1時間ちょっとの距離です。娘が入院したと聞いたら、その日すぐに無理だとしても、翌日には仕事の前でも後でも、ちょっとくらい顔を見に来るものではないでしょうか?

 

そして、入院費用の支払いについて、できれば父に出してほしいとお願いしました。それは僕が休職中で給与の支払いを受けておらず、傷病手当金でギリギリの生活をしていたからです。大変申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらも、事情を説明して、お願いしました。父はこれに関しては返事を渋っていました。

もちろん、夫として、ここは僕が支払うべきところなのでしょう。しかし、つい数ヶ月前までうつ病がひどく、自殺も考えていた状態だったのです。復職が決まっているとはいえ、今後の生活はまだまだ不透明な状態です。今回の妻の入院の不安を少しでも軽減したい思いで、せめて支払いの面では援助をいただき、復職へ向け集中したい気持ちでした。(復職することが、妻の不安の解消にもなると思います。)

戸籍上の父とはいえ、立場上義理の父へのお願いです。いろいろな事情があるにせよ、どれだけの思いでお願いしたことか。そこを汲み取ってもらえなかった思いです。

 

電話の最後に、「娘のこと、よろしく頼むね!」と言われました。

僕のことを信頼してくれているのでしょう。

しかし、「全て押しつけられた。」とも思いました。

 

僕はうつ病で、やっと復職が決まり、自分のことで精一杯の状態です。

少しでも父と母に力になってもらいたい思いでしたが、それは叶いませんでした。

 

これは僕の甘えでしょうか?

夫として、やはり全て僕が抱えるべき問題でしょうか?

 

うつ病でなければ何も気にならなかったかもしれません。

今は、「やっと復職できるまで回復したのに、何で手を差し伸べてくれないんだ?」という不信感が勝っています。

(うつ病で休職している間、父と母からの連絡はほとんどありませんでした。)

 

昨日の夕方、父に入院申込書を速達で送った件、入院費用の概算、病院名と病室、病院の地図をLINEで送りました。(ちょうど仕事の時間ですので、通話は無理かと思い、LINEで送りました。)

13時間が経過しましたが、未だに既読がつきません・・・。

 

妻の病気は「急性胃腸炎」だったそうです。

 

昨日の疲れなのか、心配しないようにと思いつつも心配してしまったせいか、今朝起きたら胃が痛いです。

僕も急性胃腸炎になってしまいそうです・・・。

(昨日の夜に黒酢を飲み過ぎてしまったせいかもしれませんがw)

 

病院の面会時間は12時からなので、それまでリフレッシュできるよう、好きなことをして過ごしたいと思います。