※読んでいて具合が悪くなるようでしたら、途中で読むのをお止めください。
僕の慕う先生(立場上、上司)にまず卒業式へ参加したいことをお話ししたら、とても前向きな返事をいただきました。それで、「もしかしたら卒業式に生徒たちに会えるかもしれない?」という期待が僕の中で膨らみ、その日から卒業式を具体的にイメージしはじめました。この生徒にはこんな言葉をかけようとか、そんなことです。また、生徒全員へ手作りのプレゼントも用意しました。卒業式のことを考え、具体的に卒業式へ向けた準備を進める時間は楽しいものでした。
それが前日になって、学校側から「生徒には会わせられない」という返答をいただきました。
今は冷静にこの判断のプロセスや判断の妥当性を認識できますが、当時の僕には「生徒に会えない」という決定事項があまりにも辛く、重いものでした。
それで、学年主任には、「いろいろと僕のことを配慮しての決定だと思います。お忙しいなか、僕のために時間を割いていただきありがとうございました。本当に感謝しています。しかし、生徒に会えないのであれば、卒業式には行きません。」といった旨の連絡をしました。
その日の夜、学年主任と直接会うことになりました。夜の誰もいなくなった職員室で、学年主任と2人きりで話をしました。
いろいろなことを話しました。僕が休んでいる間の学校での出来事。最近の生徒たちの様子。そして、3年間の思い出など。一緒に、学年主任が撮り溜めた3年間の生徒たちの写真を見たりもしました。2人で笑い合いながら、3年間(僕にとっては2年半)の思い出を語り合いました。
学年主任が「何かあったら全部俺が責任を取るから、卒業式に来な。そして、直接会えないにしても、会場に先生の席を用意しておくから、そこからクラスの生徒たちの晴れの姿をみ見てほしい。きっと、先生の区切りにもなると思う。」と仰ってくださいました。
僕は曖昧な返事をしましたが、それでも別れ際に、「病気にはなってしまいましたが、先生の学年で2年半過ごせてよかったです。先生が学年主任でよかったです。」と握手を交わしました。お互い目には涙が浮かんでいました。
そして迎えた卒業式。僕は「行く」という選択をしました。
生徒と保護者の目に入ることがないよう、式の途中からこっそり会場に入りました。そこには僕の席が用意されていました。凜とした空気の中、久しぶりにクラスの生徒たちと同じ空間にいれることを嬉しく思いながら、生徒たちの成長した姿に目を細めました。
しかし、です。3学年の先生たちの席に目をやった途端、「何で俺はあそこにいないんだろう。何で俺はあそこにいれなかったんだろう。」と、自分が病気で倒れてしまったこと、最後まで生徒たちの面倒を見切れなかったことを本当に悔しく思いました。悔しくて悔しくて、拳を握りしめ、声を押し殺して泣きました。
そして、生徒と保護者の目に入ることがないよう、式の途中で会場を後にしました。
それが、僕の卒業式でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この続きはNo.4でお話しします。
