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temaibu21(いぶき)

うつ闘病記。
みなさんに僕と同じような辛さを経験してほしくありません。
みなさんが笑顔で過ごせるよう、僕の経験を伝えていきます。

※読んでいて具合が悪くなるようでしたら、途中で読むのをお止めください。

 

僕の慕う先生(立場上、上司)にまず卒業式へ参加したいことをお話ししたら、とても前向きな返事をいただきました。それで、「もしかしたら卒業式に生徒たちに会えるかもしれない?」という期待が僕の中で膨らみ、その日から卒業式を具体的にイメージしはじめました。この生徒にはこんな言葉をかけようとか、そんなことです。また、生徒全員へ手作りのプレゼントも用意しました。卒業式のことを考え、具体的に卒業式へ向けた準備を進める時間は楽しいものでした。

 

それが前日になって、学校側から「生徒には会わせられない」という返答をいただきました。

今は冷静にこの判断のプロセスや判断の妥当性を認識できますが、当時の僕には「生徒に会えない」という決定事項があまりにも辛く、重いものでした。

それで、学年主任には、「いろいろと僕のことを配慮しての決定だと思います。お忙しいなか、僕のために時間を割いていただきありがとうございました。本当に感謝しています。しかし、生徒に会えないのであれば、卒業式には行きません。」といった旨の連絡をしました。

 

その日の夜、学年主任と直接会うことになりました。夜の誰もいなくなった職員室で、学年主任と2人きりで話をしました。

いろいろなことを話しました。僕が休んでいる間の学校での出来事。最近の生徒たちの様子。そして、3年間の思い出など。一緒に、学年主任が撮り溜めた3年間の生徒たちの写真を見たりもしました。2人で笑い合いながら、3年間(僕にとっては2年半)の思い出を語り合いました。

 

学年主任が「何かあったら全部俺が責任を取るから、卒業式に来な。そして、直接会えないにしても、会場に先生の席を用意しておくから、そこからクラスの生徒たちの晴れの姿をみ見てほしい。きっと、先生の区切りにもなると思う。」と仰ってくださいました。

僕は曖昧な返事をしましたが、それでも別れ際に、「病気にはなってしまいましたが、先生の学年で2年半過ごせてよかったです。先生が学年主任でよかったです。」と握手を交わしました。お互い目には涙が浮かんでいました。

 

そして迎えた卒業式。僕は「行く」という選択をしました。

生徒と保護者の目に入ることがないよう、式の途中からこっそり会場に入りました。そこには僕の席が用意されていました。凜とした空気の中、久しぶりにクラスの生徒たちと同じ空間にいれることを嬉しく思いながら、生徒たちの成長した姿に目を細めました。

 

しかし、です。3学年の先生たちの席に目をやった途端、「何で俺はあそこにいないんだろう。何で俺はあそこにいれなかったんだろう。」と、自分が病気で倒れてしまったこと、最後まで生徒たちの面倒を見切れなかったことを本当に悔しく思いました。悔しくて悔しくて、拳を握りしめ、声を押し殺して泣きました。

 

そして、生徒と保護者の目に入ることがないよう、式の途中で会場を後にしました。

それが、僕の卒業式でした。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

この続きはNo.4でお話しします。

昨日は同期飲みでした。

 

同期のみんなと会えたのが嬉しくて、同期のみんなと話せたのが楽しくて、もうどのくらい飲んだのか覚えていないほど、芋焼酎のロックを飲みまくりました。とりあえずのビールから、エンドレス芋焼酎のロックでした。

 

すごく楽しかったです。同期に感謝!

 

それでも、家に着いたころには限界で、久々にお風呂に入らず即寝ました。

夜中深酒による頭痛と吐き気で何度も目が覚めましたが、朝はすっきり目を覚ますことができました。

というわけで、ギリギリのところで二日酔いを回避です。

 

今日は1年近く続いた「人生の夏休み」の最後の日。

明日から仕事です。

今日も楽しい1日にしようと思います。

 

※読んでいて具合が悪くなるようでしたら、途中で読むのをお止めください。

 

Twitterを始めた僕は、久しぶりにコミュニケーションの楽しさを感じました。最初は仕事で苦しかったこと、辛かったこと、今の心情など、どちらかといえばネガティブなツイートをしていましたが、(実際の体調はよくありませんが)徐々にTwitter上では冗談を言い合ったり、言葉遊びをしたりなど、ポジティブなやり取りができるようになってきました。

 

ただ、これは僕の性格なのでしょう。辛そうなツイートを見ると、どうしても放っておけなくて、自分に何かできないかとあれこれ考えて、ほとんど全てのTLにリプを返すようになりました。そうなると1日の多くの時間がTwitterに割かれてしまいます。また、相手を心配するあまり、何度か人間関係のトラブルに発展することもありました。ネット上の人間関係のトラブルはよくあることでしょうが、当時の僕にはだいぶ堪えました。

それがきっかけというわけではありませんが、一時期熱中しすぎたTwitterとはほどよい距離感でフォロワーさんとのやり取りを楽しめるようになりました。実際の友人と会うのはまだまだ怖い時期でしたから、フォロワーのみなさんとお話しできる時間はとても貴重なものでした。

 

休職して2-3ヶ月が経って、ようやく近所のスーパーなどに行けるようになりました。

少しだけなら散歩をしたり、筋トレをしたり、運動もできるようになってきました。

 

しかし、クラス担任という意味では、もう復帰は無理な状態でした。(体調的にも、立場的にも。)

実際のところ、僕が休職に入った時点で、学校は担任の変更を決定しました。進路のかかった大事な時期ですから、当然の判断です。そのことを知ったのはクラスの生徒たちが卒業してからですが、仮に僕の休職が1週間や2週間で済んだとしても、初めて担任したクラスの生徒たちを卒業生として送り出す夢は、休職した時点で潰えてしまっていたわけです。

 

休職して3-4ヶ月。徐々に体調もよくなり、精神的な落ち込みも少なくなってきました。

そして、卒業式が近づいてきました。

クラス担任として卒業式に出ることは当然無理なわけですが、休職するまで2年半、自分を犠牲にしてまで精一杯接してきた生徒たちです。その生徒たちの晴れの姿を見たいと、学校側に「隅の方から立ち見でも構わないので、卒業式に参加させていただけないでしょうか。」と、お願いをしました。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

この続きはNo.3でお話しします。