本日昼頃、山口雄也さんの訃報に衝撃を受け、ブログを書くことにしました。
知らない方にご説明いたしますと、京都大学の学生でありながら白血病と戦い、非常に過酷な闘病生活を過ごした方です。


 

…と書くと、私が前からのファン?だったように思われるかもしれませんが、
実は私が彼を知ったのは今年に入ってからでした。


池江璃花子選手の「努力は必ず報われる」の言葉が賛否両論となり、話題となったことは多くの方がご存知だと思います。
私の感想としては、池江選手の言葉はご本人が病を克服し、やっとアスリートとして復帰を実感できた喜びから湧き出た言葉であって、言葉の表面だけを捉えてあれこれ騒ぐこと自体がどうかと思います。
ただ、実際に私も努力が必ずしも結果にならなかったことはありますし、私の周りにもそれで心が折れてしまった人がおり、どん底の真っ最中、努力が実らずにあがいている人を刺激する言葉であったことは否定できません。
(でもね、それでも喜びのスピーチなんだからみんな素直に聞き入れてお祝いしてあげましょうよ…)

この議論に対して、私がしっくりと来たベストアンサーが山口さんのコメントでした。

 

 

 

 

 


このコメント以降、彼に対して敬意を抱き、ブログを細かく拝読いたしましたが
文章力の高さ、例え話の語彙の豊富さは引き込まれるものがありました。

例えば、最新のブログの冒頭がこちら


生きたいと思いながら生きるのか、死にたいと思いながら生きるのか、そのどちらが楽かと問われれば、まず間違いなく万人が前者を選ぶことだろう。相反する感情の中で心が押し潰される痛みと哀しみというものが、どれほど筆舌に尽くし難いかなんて、わざわざ書いて説明しなくても分かるし、僕もそんなものについて身を削って書きたくはない。

 しかしながら逆に、もっと生きたいと思いながら死ぬのか、もう死にたい、死んでもいいと思いながら死ぬのか、そのどちらかを選ばなければならないのだとしたなら、誰しもがきっと深く悩むことだろう。前者は相反する痛みの中にあり、後者は相反しないまた別の痛みの中にある。死ぬことが決めつけられてしまったとき、一体どちらが楽なのか、僕はそのことばかりをずっと考えて今日も生きている。まもなく来たるべき、その日のために。



引用元:https://yoshinashigoto.hatenablog.jp/


もうね、Temaブログと「ブログ」というカテゴリーで同列に扱うことすら申し訳ないくらい…国語の教科書に載っても良いくらい言葉が上手い。
彼のブログは常に病と闘い、病状を正直に明かしながらも、時には気丈に、時には文学的表現で彼独自の死生観を説いておりました。


私は目標ができてしまうと目標達成が第一で自分のことを後回しにする癖があり、
自分の健康面や精神面を雑に扱ってしまうところがあります。
私が幸いにも健康体であること、凡人の癖に目標だけは高いのでそれくらい頑張らないと目標を達成できない理由も含まれておりますが、自分の生に対してあっさりとした価値観を持っていた私には、彼の生きようとする信念がより心に刺さることとなりました。
彼の言葉は多くの人の心に刻まれ、彼に勇気を与えられたり、私を含めて新たな気付きを得た方もいらっしゃるでしょう。
今でも充分に影響を与えておりますが、もし病に勝つことができていたらもっと多くのお話しが聞けただろうと思うと残念です。




何故プロゲーマーの私がこんなブログを書いたのか…というお話しですが、
彼の望みが「生きた証をネットに残したい」「献血に行って欲しい」だったからです。
私は体重制限で献血には行けないため、前者の望みを微力ながら協力いたしました。
山口雄也さんのご冥福をお祈りいたします。