だいたいの

面倒くさいことは

とりあえず

済ませたつもりでいる。


書類も

連絡も

頭の中の引っかかりも

一応、棚には戻した。


「よし」と言うほど

完璧じゃないけど、

「まあいいか」と

流すくらいには

やった気でいる。


こういう“つもり”は

夜になると

やけに信用できる。


だけどさ、

わかってる。

明日のほうが

また覚えておかないと

いけないことが

ちゃんと残ってる。


思い出したくない

細かい段取りとか、

言わなきゃいけない

ひと言とか、

忘れたふりをすると

後で地味に効いてくる

あれこれ。


今の自分は

それを全部

明日に預けている。


ずるいとも思うし、

賢いとも思う。

夜勤前の判断なんて

だいたいそんなものだ。


だから

明日の自分に

ひと言だけ。


「全部まとめて

ちゃんとやろうと

しなくていい」


一個ずつでいい。

思い出した順でいい。

うまくやろうと

しなくていい。


とりあえず、

今は

夜勤を済まそう。


無事に

朝を迎えること。

それだけで

今日は合格だ。


明日のことは

明日の自分が

また考える。


それでいい。

明日の自分にひとこと

 

 

 

 

 

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朝起きて

なんの気無しに

焼く前の餅を見つめて

ああ、正月休みだなと

ようやく思い出す。

カレンダーより

餅の存在感が勝つ瞬間。

子供たちはパンである。

いつも通りのカップスープ付き。

今時の子供、というやつだ。

田舎なのにね。

ご飯も食べるし

別に偏食ではない。

ただ

雑煮は今ひとつらしい。

まあ

その前に

作らないんだけど。

嫁さんが嫌いで

俺は白味噌を

余らせている。

この時点で

正月の歯車は

若干ズレている。

うちの地方は

あん餅雑煮が有名だが

実家では

一度も食べたことがない。

白味噌に

白餅

にんじん

大根。

大根が毎度

主張してくる。

うしい!!

薄味文化ゆえの

素材勝負。

だが

大根は

毎回

前に出過ぎる。

こくを足したいが

濃くすると

焦げる気がして

手が止まる。

雑煮は

なかなかに難しい。

最近の結論は

水を入れて焼く、だ。

フライパンに

薄く水

餅を並べ

蓋をする。

蒸して

焼く。

これが

安定する。

ひっつくから

クッキングシート推奨。

ここ大事。

せっかくなので

餅の食べ方を

少しだけ。

・焼いて

砂糖+醤油

結局これが強い

・焼いて

バター+醤油

背徳感が正月

・焼かずに

レンジで

きなこ

洗い物が少ない

・焼いて

海苔

醤油

原点回帰

どれも

体型の話は

聞いてくれない。

餅というのは

油断すると

生活に溶け込む。

夜。

気づけば

主食の顔をして

居座っている。

「正月だから」

この一言で

すべてを

正当化する

魔力。

餅に溺れる

日本人の

典型例が

ここにいる。

体型のことは

考えない。

毎年

忘れる。

毎年

思い出す。

その繰り返しも

含めて

正月だ。

餅を焼き

少し焦がし

まあいいかと

食べてしまう。

今年もまた

そんな感じで

始まっている。

悪くない

正月くらい

祝日くらい

楽な食事

楽な洗濯

楽な掃除の仕方で

いいじゃない

生き抜く為の

息抜きしても

いいじゃない

なんで

呼吸もできない息苦しさを

押し付けられないと

いけないのか?

仕事だとしても

家庭だとしても

関係ない

サボるのを上手くしないと

詰まる

息が吸えない。

人は名ばかりで

冷酷で劣悪で

ばかりではないが

少数派でもない

世界的にみて

そうでもないのだから

目指さぬ限り

そうはならない

活かすために

今日も息を吸って

思い切り吐く

たまにの癒しに

クセになり

ハマっても

もがいて剥がそうと

意味のわからない事もあれば

パチンと弾けて

止まる事もある

止まらぬ事もある

塩梅など

いい加減で

決まってない

いつも失敗して

いつもまいる

それでもやっぱり

澄んだ空気を

取り入れて歩きたくなる

意外と