いつみても隣の芝生は金色
やめられない無駄遣い
——なんてタイトルをつけておいて
ほんとは
それを無駄遣いと呼びたくないだけの話だ。
だってさ
生きてりゃ金は出ていくし
息をするみたいに消えていくし
節約しようと構えたところで
どこかで帳尻は合わなくなる。
コンビニでふと手に取るコーヒー
帰り道に寄る惣菜
夜勤明けの甘いもの
それらを全部まとめて
「無駄」と言い切るほど
俺はきれいに生きていない。
むしろ逆で
それを削った先に
どれだけの余白が残るのか
削りすぎて
人間らしさごと削ってないか
そっちの方が気になる。
無駄遣いって言葉は便利だ。
一括りにして
罪悪感を押しつけて
はい、反省って流れにできる。
でも実際は
そんな単純じゃない。
必要経費ってやつを
見誤る方がよっぽど厄介だ。
例えば
子どもに買ってやるアイス
それは栄養でもなければ
将来の投資でもないかもしれない
でも
あの一瞬の笑顔は
生活を回すための
潤滑油みたいなもんだ。
自分に使う金も同じで
ちょっとした外食
ちょっとした趣味
ちょっとした寄り道
どれも
生きる上での「余熱」みたいなもので
完全にゼロにしたら
火は消える。
とはいえ
なんでもかんでも
正当化していいわけじゃないのも
わかってる。
明らかに勢いだけで買ったもの
届いた瞬間に熱が冷めるやつ
使い道のないガラクタ
ああいうのは
さすがに無駄遣いと呼んでいい。
ただ
問題はそこじゃない。
本当にややこしいのは
無駄遣いとまではいかない
グレーゾーンの存在だ。
・疲れてる日のテイクアウト
・ストレス発散の小物買い
・なんとなくで入るサブスク
これらは
完全な無駄とも言い切れないし
必要経費とも断言できない。
その日の自分の状態によって
価値が変わる。
余裕があるときなら
「まあいいか」で済む。
でも
余裕がないときに重なると
急に「なんでこんなことに金使ってんだ俺」って
首を絞めてくる。
結局のところ
無駄遣いかどうかって
モノの問題じゃなくて
自分のコンディションと
納得感の問題なんだと思う。
納得して払った金は
だいたい後悔しない。
逆に
流されて払った金は
金額に関係なく
じわじわ効いてくる。
だから最近は
無駄遣いをゼロにしようとは
思っていない。
その代わり
「これは自分にとって必要経費か?」を
一瞬だけでも考えるようにしてる。
一瞬でいい。
長考すると
結局めんどくさくなって
どうでもよくなるから。
その一瞬で
「今日はこれ必要だな」って思えたら
胸張って使う。
「いや、今じゃないな」って思えたら
そっと戻す。
それだけ。
やめられない無駄遣いは
たぶんこれからも続く。
でもそれを
全部悪者にしないで
必要なものと
グレーなものと
明確な無駄と
ざっくりでいいから
仕分けしていく。
それくらいの距離感が
家計にも
心にも
ちょうどいい気がしている。
完璧にはならない。
どうせどこかで
やらかす。
でもそのたびに
「ああ、今回は無駄だったな」って
笑えればいい。
それもまた
次の必要経費に変わるかもしれないから。 


夜勤の合間に
スマホをチラチラ見た。
静かなフロアのすきま時間、
一瞬だけ流れてきた映像。
氷の上で、
空気を切り裂くような動き。
ああ、これ
あとでちゃんと見よう。
そう思ったまま
そのまま仕事に戻った。
あとから知る。
あれが
大逆転の瞬間だったと。
三浦璃来と木原龍一。
いわゆる“りくりゅうペア”。
あの二人の演技が、
積み重なってきたものをひっくり返して
一気に頂点へと届いたらしい。
「らしい」っていうのが、
もう悔しい。
リアルタイムで
その瞬間を飲み込めなかったことが、
地味に刺さる。
結局、
あとから TikTokやX を開いて、
断片をかき集めることになる。
切り取られた歓声。
短く編集されたハイライト。
コメント欄の熱量。
それでも伝わってくる。
ああ、
これは“生で浴びるべきやつ”だったな、と。
大逆転って、
なんでこんなに人を掴むんだろう。
たぶん
落ちている時間があるからだ。
順風満帆のまま勝つよりも、
崩れかけて、
それでも立て直して、
最後にひっくり返す。
その過程に、
勝敗以上の意味が生まれる。
観ている側は
その“戻ってくる軌道”に
自分の生活を重ねてしまう。
仕事もそうだ。
思い通りにいかない日が続いて、
段取りはズレて、
人は動かないし
空気は重たい。
それでも、
最後の最後で
なんとか帳尻が合う日がある。
誰も拍手なんかしないけど、
内心ではちょっとだけ
「よし」と思ってる。
その感覚に
大逆転の構図は、似ている。
だから本当は、
見逃したくなかったんだと思う。
結果じゃなくて、
ひっくり返る瞬間そのものを。
それなのに俺は、
いつも大事なところを見逃す。
あとで知って、
あとで追いかけて、
あとで悔しがる。
リアルタイムの熱を
少し冷えた状態で
なぞることになる。
それでも、
完全に無意味でもない。
後追いでも
心は動くし、
何かを受け取ることはできるから。
ただ、やっぱり思う。
次に同じような瞬間が来たら、
ちゃんと立ち止まって
ちゃんと見よう。
ほんの数分でもいいから、
その場で受け取ろう。
仕事も、生活も、
流れていくけど、
全部を優先する必要はない。
たまには
その“ひっくり返る瞬間”を
逃さないでおくのも
悪くない。
夜勤の静けさの中で、
スマホの小さな画面を思い出しながら、
そんなことを考えている。
次は、
ちゃんと見る。
そう決めたところで、
またコールが鳴る。
現実は相変わらずだし、
俺も相変わらずだ
詐欺というか
ねずみ講に会ってた時期があるなあ。
暇だったからとか
話し相手がとか
そんな簡単な感情だった。
当時のSNSで会ったんだが
男の人ね。
言動がまるで伴ってないから
胡散臭くてさ。
なんか
バレバレの嘘と仕込みだったので
やはり田舎になると
なんだか骨組みだけで
肉付けちゃちいなあ。
と感じてしまった
もうすぐ儲かる
師匠にあって欲しい
あなたはなんかオシャレで
都会に住んでるひとみたい
とか
トークも上手かったねぇ。
何度か行ったけど
やっぱり胡散臭くてさ
会うのやめた。
もともと田舎だし
住所教えてなかったし。
なんていう。
つまらない話。
つまりはありふれた話で
騙されるなんて
他人事ではない
辛いし、返ってこない
悔しくて恥ずかしい
慣れてしまうし、、、、
人は脆くて盲目になりやすい
上手い才能に
やられて
しまわぬよう
養うことも
大事だと思う
遭遇しないように。




