娘が気に入った鯛だが

安くはない出費である。



普段なら
「魚にそんな金をかけて」

となりそうなものだが
まあたまにはいいだろう。

何より良かったのは

二回目で違いに気づいたことだ。

前回より少し味が薄い。

塩気なのか。

個体差なのか。

処理なのか。

理由まではわからない。

だが、
同じ鯛でも
同じ味ではないと
感じたらしい。

それが何だか嬉しかった。


魚というのは不思議なもの
で、
慣れた途端に雑に扱われる。
鯖もそう。
鮭もそう。


スーパーに並んでいて

給食にも出てきて、
当たり前に食卓へやって来る。
だから、
魚は魚。


そんな扱いになりやすい。

だが、
本当は違う。
脂の乗り方も違えば、
時期も違う。

産地も違えば、
処理でも変わる。

同じ名前だからといって、
中身まで同じではない。
当たり前なのだが
案外知らないまま大人になる。

別に高い魚を食べさせたいわけじゃない。
高級志向になれとも思わない。

ただ、
何となくで済ませるには

もったいない世界がある。

それを少しだけ知ってほしい。
前回の鯛と今回の鯛。
たったそれだけの違いだが
そこに気づけたのは大きい。

魚の王様なんて呼ばれる鯛も
名前だけならただの魚である。

だが二回食べて、
違いを感じたなら話は変わる。

ああ、
あの魚か。
そうやって少しずつ
輪郭ができていく。
知ることは面倒だ。
知らない方が楽なことも多い。


けれど
何も知らずにいるのも
なかなか退屈である。

同じに見えるものが、
実は同じではない。


その違いを見つけるのは
少しばかり面白い。

だから今度は、
鯖でも鮭でもいい。
いつものやつと、
少しいいやつ。
並べてみたい気もする。


魚は魚じゃないぞ。
そんな悪趣味な実験を
父はまだ諦めていないのである。
面白いことが好きだと言う。

けれど本人の言う面白いは、
笑えることでも、
騒げることでも、
刺激の強いことでもない。

人が変わる瞬間や、
考え方が揺れる瞬間。

いつも通りだと思っていたものが、
少しだけ違って見える瞬間。

そんなものを面白がる。

だから八方美人を嫌うわけではない。

新しい環境なら誰だって周囲を窺う。
誰だって合わせる。
誰だって右往左往する。

問題はそこではない。

いつまでも同じことを繰り返し、
いつまでも同じ感覚でいることだ。

毎日同じ仕事でも構わない。

ルーティンも否定しない。

むしろルーティンは必要だ。

だが毎日の中に、
少しの工夫も発見もなく、
昨日と同じ文句を言い、
去年と同じ不満を抱え、
何年も同じ景色だけを眺めている。

そんな様子を見ると飽きる。

つまらなくなる。

能力がどうとか、
人格がどうとかではない。

変化がない。

動きがない。

揺れがない。

それが退屈なのだ。

面白い人とは、
話が上手い人ではない。

賢い人でもない。

変わっていく人だ。

迷う人だ。

失敗する人だ。

昨日と少し違うことを考える人だ。

だから本人も例外ではない。

環境が変われば八方美人になるし、
無駄にあくせくもする。

自分だけは違うとは思っていない。

ただ、いずれ飽きる。

慣れてくれば次を探す。

もっと別の見方はないか。
もっと違う考え方はないか。

そうしてまた面白さを探し始める。

怒っているように見えて、
実際には冷めていることが多い。

嫌いになる前に飽きる。

そして去る。

「つまんないなあ」

その言葉は悪口というより、
興味を失った合図なのかもしれない。


別れが人を強くした。

ははっ。

そうなのかもしれない。

ただ、強くなりたくて強くなったわけではない。

気がつけばそうなっていた。

そんな感じだ。

この仕事は別れの繰り返しだ。

報われないこともある。

無力なこともある。

無様だなと思うこともある。

助けられなかったと思うこともある。

支えられなかったと思うこともある。

そういうことの積み重ねだ。

見守る。

看取る。

そしてまた歩く。

悲しくないわけではない。

怒りがないわけでもない。

悔しさだってある。

それでも立ち止まってばかりはいられない。

次が来るからだ。

次の日が来るからだ。

だから握りしめる。

怒りも。

悲しみも。

抱えたまま歩く。

時には床へ叩きつけるようにして。

どうにか飲み込む。

そうしてまた働く。

感情を込めて突き進めばいいわけでもない。

離れればいいわけでもない。

近づきすぎれば潰れる。

離れすぎれば何のためにいるのかわからなくなる。

だから。

頭は離れて。

心は近めに。

長く続けていると、そんな位置になる。

期待しすぎない。

諦めすぎない。

救えるなんて思わない。

何もできないとも思わない。

その曖昧な場所に立ちながら、人と関わる。

介護の仕事は大変ですね。

そう言われることがある。

確かに大変だ。

汚れることもある。

身体が痛くなることもある。

腰だって悲鳴を上げる。

夜勤だって楽じゃない。

だけど。

それは案外、短期の話だ。

本当に長く残るのは別のところにある。

別れ。

無力感。

どうにもならない現実。

手を尽くしても届かないこと。

そういうものが少しずつ積もっていく。

そして気づく。

強くなったのではなく。

強くならざるを得なかったのだと。

別れが人を強くした。

ははっ。

そんな格好いいものじゃない。

ただ今日も歩いているだけだ。

歩けるから歩く。

それだけの話である。 別れが人を強くした

 

 

 

 

 

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