夜勤の合間に
スマホをチラチラ見た。
静かなフロアのすきま時間、
一瞬だけ流れてきた映像。
氷の上で、
空気を切り裂くような動き。
ああ、これ
あとでちゃんと見よう。
そう思ったまま
そのまま仕事に戻った。
あとから知る。
あれが
大逆転の瞬間だったと。
三浦璃来と木原龍一。
いわゆる“りくりゅうペア”。
あの二人の演技が、
積み重なってきたものをひっくり返して
一気に頂点へと届いたらしい。
「らしい」っていうのが、
もう悔しい。
リアルタイムで
その瞬間を飲み込めなかったことが、
地味に刺さる。
結局、
あとから TikTokやX を開いて、
断片をかき集めることになる。
切り取られた歓声。
短く編集されたハイライト。
コメント欄の熱量。
それでも伝わってくる。
ああ、
これは“生で浴びるべきやつ”だったな、と。
大逆転って、
なんでこんなに人を掴むんだろう。
たぶん
落ちている時間があるからだ。
順風満帆のまま勝つよりも、
崩れかけて、
それでも立て直して、
最後にひっくり返す。
その過程に、
勝敗以上の意味が生まれる。
観ている側は
その“戻ってくる軌道”に
自分の生活を重ねてしまう。
仕事もそうだ。
思い通りにいかない日が続いて、
段取りはズレて、
人は動かないし
空気は重たい。
それでも、
最後の最後で
なんとか帳尻が合う日がある。
誰も拍手なんかしないけど、
内心ではちょっとだけ
「よし」と思ってる。
その感覚に
大逆転の構図は、似ている。
だから本当は、
見逃したくなかったんだと思う。
結果じゃなくて、
ひっくり返る瞬間そのものを。
それなのに俺は、
いつも大事なところを見逃す。
あとで知って、
あとで追いかけて、
あとで悔しがる。
リアルタイムの熱を
少し冷えた状態で
なぞることになる。
それでも、
完全に無意味でもない。
後追いでも
心は動くし、
何かを受け取ることはできるから。
ただ、やっぱり思う。
次に同じような瞬間が来たら、
ちゃんと立ち止まって
ちゃんと見よう。
ほんの数分でもいいから、
その場で受け取ろう。
仕事も、生活も、
流れていくけど、
全部を優先する必要はない。
たまには
その“ひっくり返る瞬間”を
逃さないでおくのも
悪くない。
夜勤の静けさの中で、
スマホの小さな画面を思い出しながら、
そんなことを考えている。
次は、
ちゃんと見る。
そう決めたところで、
またコールが鳴る。
現実は相変わらずだし、
俺も相変わらずだ
