心疾患を抱え、学生時代は何かと制限が多い日々でした。

・持久走のようなものNG
・運動部への入部もNG
・無理をする事もNG

下町のおてんば娘として育った私からすると
かなり苦痛の日々でした。

心臓病を抱えているから出来ないと言われてももちろん納得は出来ず、スポーツクラブに入っている子から教えてもらい全く同じ練習メニューをこなしてみたりしていました。

運動神経も悪い方では無かった為、そつなく、こなせていましたが、その後必ず発熱していました。

自分自身でやってみて体が無理だということを認識していきました。

すると徐々に自分の心と体の差が減っていき、自分自身を理解できていきました。

しかし、これまでの中で最も冷や冷やしショックに感じた出来事があります。

高校受験の日のことです。
どうしても行きたい都立高校がありました。
理由はギャルが集う学校で有名だったからです。

その高校に推薦試験を受けて落ち、その後一般受験を受けて、また落ちました。


滑り止めで受けていた私立高校の受験日。
筆記試験などもなく、作文と職員面接のみでした。

作文試験も終了し、面接を行った時です。
私だけ職員面接後、別室に呼ばれました。

面接官として座っていたのは校長先生でした。


何を言われるのかと冷や冷やしていると、体育の授業で持久走があるが参加できるのか。という質問でした。

この時にそれまでの人生で1番の挫折感を感じました。


自分の病気が原因で、拒否される事があるのか…と。


実際、その面接は一応の確認程度だったようで、無事入学する事が出来ました。


しかし、あの日の自分の中てまの衝撃は忘れる事が出来ません。


自分自身の根っこそのものを否定されたような気持ちになりました。

入学が決まってからは気の強さが爆発し、
病気だからと言って、心配されたくない一心でかなり無理をしていたように思えます。


体育の科目の一つとして用意されていた持久走も、参加しなければ1回見学ごとに数枚の作文を提出しなければならなく、提出をしても赤点ギリギリの点数しかもらえませんでした。

それが嫌でダメとされていたにも関わらず、持久走に参加しました。

案の定体調は崩しましたが意地でも周りに負けたくなく、一度も休まずに参加しました。


部活についても、どうしてもダンスがしたく、チアダンス部に所属しました。

医師からは辛くなったら必ず無理はしないようにいう条件付きでした。


やりたくても出来なかった日々を経験していたからこそ、許可が出てからは人一倍練習に励んだことを覚えています。


高校時代は意地で生活していた気がします。

しかし意地を持って生活すると予想以上の力が発揮出来、自分に厳しくなれ、どんな困難にも立ち向かえる強さを手に入れる事が出来たように思えます。

全ての悲しい、悔しいという経験は、必ず将来に生きるという事がわかりました。