NHKドキュメントの感想の続きです。
新聞やテレビが担ってきた世論形成の役割が、webサイトに移行するのではないかという仮説は、多くの人にとって何となく「そうかな‥」と思わせるだけの市民権を持ってきていることは事実ですね。
しかし、webサイトに掲載される記事が、どの程度信憑性があるか、まだその評価は決まっていない。何故ならwebサイトの規模や空間の広がりが、新聞の購読者やテレビの視聴者のように限定される規模を確定できない概念だからと言えましょうか?個人が自由に発信できるということは、その評価もまた個人がすることであり、世論というには個別過ぎるのかもしれません。
webの魅力は、そのスピード性にあるでしょう。
例えば、都内にいると、様々な場面で「事件」に遭遇することがある。その「事件」は、当事者に近ければ近いほど、「事件」の概要をつかむことができない。爆発事故や何かの大きな事件があっても、現場に近すぎると「何が起きているか分らない」のが実態ですね。
そこで、携帯を使ってネット検索する。しかし、その速報性は、大手の検索サイトに掲載されるまでには時間がかかる。新聞やテレビより早いかもしれないが、それにしても一定のタイムラグがあるのも事実。その時、Twitterや2チャンネルなどで見ると、その「事件」についての概要が既に書き込んである。現場にいてもその情報で何が起きているのかは分る。
これがwebの利点かもしれない。
情報の取得にかかるスピード感は、webサイトの多様な機能が達成してくれる。
しかし、その「事件」の客観的な評価はまた別だ。
それがどんな意味があるのか、どんな背景で発生しているのか、そんな深堀情報は、その後の「調査報道」によって明らかにされる。その発表形態が新聞であるのか、テレビであるのか、webサイトなのかは問わない。
大切なのは、やはり「真相」なのでしょう。
その「真相」に対する人々の関心は、情報に対する「知る権利」に通ずるものがある。
だからニュースの速報性とニュースの分析性は同居しなければならないといえるでしょうね。
webサイトに掲載される分析的信頼性は、専門家とチーム力と時間とお金が必要と指摘した元「調査報道記者」の言葉が記憶に残りました。
記事の信頼性は、それに書けた時間の蓄積の重みに比例する。
私はそう思います。情報は、練りこんでいなければフローされるだけ。
そこをwebが実現できるかが、webジャーナリズムの形成にとって必須のことなのでしょう。