小説家 瀬戸内寂庵さんのケータイ小説が爆発的な人気を得たというニュースは記憶に新しい。
そんなケータイというメディアの力の大きさに驚いていた矢先、瀬戸内さんはNHKの番組に出演して、改めて活字媒体の魅力について語っていた。もうケータイ小説は書かないという。
この瀬戸内さんの考え方に共感しました。
ケータイ小説の制限性は、小説という物語の伝達に限界を与えているのは確かですね。活字媒体には、長い年月を経て培われてきた「空間性」があり、活字の余白にある「白」には、読者の自由な「時間」が存在している。
それに比べ、ケータイに描かれていく小説には、残念ながらこの「空間性」と「時間性」の自由の余地が、まだない。物語は運んでいくのでしょうが、その先のイメージが狭いといえるのでしょうね。
ブログ小説というジャンルがあるのかどうか分かりませんが、ブログで小説やエッセイなどを掲載している方々も多い。私も偶然の出会いから、小説を書いている何人かの方のブログにお邪魔することがある。しかし、ブログという媒体もまた、ケータイに近く、物語を展開するには「空間性」に欠けるように思える。
活字媒体が絶対だとは思わない。しかし、書籍として纏められるという行為には、活字で描かれた物語の「全体性」があるのだと思う。機能ではなく、一冊の本という表現の全体性‥。
ブログには、残念ながら、この全体性がなく、フローの情報として流れていってしまう傾向があるのだと思う。
でも、ブログに小説や文学の世界を自分に引き寄せて、物語を書き続けている方を、私は尊敬する。
言葉による表現の可能性への挑戦は、まだ始まったばかりだからだ!
いろいろ、やってみたいよね!