「禁じ手」を創造した人間の知恵 | 考える道具を考える

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最近の大学での話。

学生に論文提出を求めると、
インターネットから検索した他人の論文を、
そのままコピー、ペーストして提出する学生が多くて困っている教授が沢山いるという。

さらに深刻なのは、コピーして提出しても、
何の罪の意識もなく、平然としているらしい。
引用ではなく、全てのコンテンツをコピーして使うことの無神経さに、
空恐ろしくなることもしばしばだといいます。


ところで、スポーツや将棋などの勝負事には、必ず「禁じ手」というものがありますね。
将棋の「打ち歩詰め」や「二歩」が代表的な禁じ手ですが、
スポーツの世界ではどんな種類のものでも、必ず禁じ手はあります。
勝負を平等にするために「やってはいけない事」をルール化しているのですね。

そして、その競技に参加している人間は、
そのルールを熟知していることが前提となっているので、
禁じ手を使えば、即刻反則負けとなります。つまり、

    ‥どの世界でも、そこで何かをする時は、
     まず「禁じ手」を学習してから入るべし

ということでしょうか?

インターネットの世界もまた、勝負事ではありませんが、
そこに星の数ほどある「他人の著作権」を意識しないで無断使用するのは
やはり禁じ手といえるでしょうね。反則負けとなります。

    ‥知の世界的流通を可能にしたネットの世界を楽しむためには、
     まず禁じ手から学習することが肝要。

‥‥大学教授との話は、こんな展開になったのですが、
そもそも、ネット利用のルール‥といった教育は、先生自ら生徒に徹底しているのですか?
というのが、私の最後の質問でしたが‥‥。


    ‥それは私の役割ではない。


というのが答えでした。一体誰が、ネットの禁じ手を教えるのかな?