「便利さ」と「脳の退化」 利便性の追究が人間をダメにする? | 考える道具を考える

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一方通行 少しの不便さ、面倒くさいことを、喜んで実践することが脳の働きを活性化してくれるという。築山 節先生は、そう言っています。

 言葉が分からない時、昔は辞書を引いた。その言葉に辿りついた時、その言葉の周囲にある他の言葉も同時に読んで、辞書の映像イメージが脳にインプットされた。一度辞書を引いた言葉は脳の中に確実にインプットされた、ように思えた。だから、何かの拍子に、その言葉に関連することがすらすらアウトプットされた。

 今、電子辞書という便利なものがある。外国語も情報をインプットすればたちどころに「答え」を出してくれる。音声で読み上げてもくれる。しかし、一度引いた電子辞書は、目的の言葉以外には関連づけたイメージがないので、その場限りで忘れてしまうことが多い。

 便利にはなったが、脳にとって良いことなのかどうかは分からない。

 ‥‥

 調査研究をするのに、様々な文献に当たらなければならない。昔は、専門書を買い漁った。図書館に行き、資料を探索した。ほとんど手作業だ。場合によっては、手書きで書き写したこともあった。

 この一連の面倒くさい作業の結果、今でも、そのテーマについては、十分に記憶に留まっている。不思議に図書館のどんな棚に、どんな資料があったのかまで憶えている。美少女との文芸的な出会いがあるかもしれないなどという、淡い期待を持っていた自分がいたことまで憶えている。(ほとんど、そういうことはなかったが‥)

 今、インターネットという大変便利な検索機械が日常の研究活動に活用されている。これはほとんど当り前の世界にすらなっている。必要なキーワードをインプットすれば、たちどころに当該関連論文が世界中から集められ、何の手間隙もなく、時間を圧倒的に節約して目的は達成される。

 しかし、こうして得た情報は、ストックされずに、当該の仕事が済んだら何処かに忘れ去られてしまう。記憶にもあまり残っていない。つい、半年前の仕事なのにも関わらず‥。

 ‥‥

 さて、何が幸福なのか? 自分の脳を活かして、元気な脳でいたい。そのためには、どうやら、面倒くさいことに、積極的に取り組むことだと、短絡的に結論づけてもいいかもしれない。(そういえば、ブログを毎日書くことは、結構面倒くさいことですよね?)

 毎日の掃除、朝起きたら般若心経を読む、料理をする、片付けをする‥‥膨大に積みあがった紙を処分する。(IT化すればするほど、どうして紙が増えるのだろう? 私のもう一方の髪はますます消えていくのに‥関係ないが)

 靴を磨く、ご無沙汰している人に手紙を書く。‥まあ、要は、普段疎かにしていること、小さなことをやっていくことか‥‥。

 脳にとって良いことは、人生にとってきっと良いことだと、信じて実践あるのみですかね‥。それにしても、面倒くさいことって、随分たくさんあるんだな‥‥。