映画「バベル」を観た これは芸術? それとも? | 考える道具を考える

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 話題の映画「バベル」をやっと観た。

 それにしても、見終ってからの、この「軽い重苦しさ」は何だ?

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 耳の不自由な女子高校生役の菊池凛子がアカデミー賞で話題を呼び、半年以上も世間が騒いでいたので、映画「バベル」を観ることににした。

 しかし、内容はほとんど予習せずに観た。シリアスなテーマが満載していることはわかっていたので、あんまり予習せずに、自然に観るのが良いだろうと考えたからですね。

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 それにしても、世界は、この映画の何を評価したのだろうか? 耳の不自由な菊池凛子が「陰毛」をさらけ出し、銃撃されたケイト・ブランシェットがブラ・ビに介抱されながら「失禁」する。モロッコの山岳で子供がマスターベーションをし、メキシコの結婚式で鶏の首がひねられる。残酷と猥褻と愛情が、一つの地平に並んでいる。これをどう解釈すればいいのか‥。

 崩壊する家族の愛情の問題が、東京とモロッコとメキシコの三次元映像の中に描きだされる。この映像の真意を汲み取ろうとするあまり、好意的な解釈を自己の中で抽出しなければ理解できない映像に、只ひたすら不可解さが残るばかり‥。

 東京の高層ビルをバベルの塔に重ね合わせようとしたのか‥。夜景がこんなに淡く、悲し気に見えたのも事実ではありましたが‥。